車椅子用駐車場

今日はちょっと真面目なお話。
昨夜は父の通院だった。
今では父の通院は私一人では難しくなってしまい、昨日は夫が仕事を早引けしてくれた。
父はちょくちょく介護拒否がある。
医院に着いて、車から降ろそうとすると嫌がったり、腕を振り回して抵抗する時もある。いつもではないが。
施設に来てくれるリハビリの先生も「3回に1回は拒否されます」とおっしゃっている。
しかし昨夜は素直に車から降りてくれた。もちろん、自分では降りられないので、私が腰を持って降ろして車椅子に乗せる。

父の様子は日によってずいぶん違う。
昨夜みたいに素直に聞いてくれる時もあれば、血圧測定を拒否して腕を振り回す時もある。
・・・なかなか、ホネが折れるのだ。
そんなわけで、私一人では対応できないことも考えて、今は夫か母が手伝ってくれる。

無事、通院をすませ(昨夜は本当に「無事」だった)、夕飯を食べに行った。
「お父さん、今から夕飯を食べに行こうね」
と言うと、父は顔の前で手を4~5回叩いて、嬉しそうににっこりした。
父は言葉が出ない。
出なくなったのはここ3ヶ月くらい。ほとんどが「手話」である。
先月は「あ・あ・あ・・・」をずっと言い続けていたが、昨日は何かをしゃべっている。しかし、筋萎縮症で舌と唇がうまく使えないので、まったく何を言っているのか理解不能だ。しかしそれも、慣れてくると、なんとな~くわかるのだ。
こんな感じ。
あろりの~ありゃりゃい~ おーいーおんで~ ありゅりゅいよ~

と言って、車窓から見える男性を指さす。
これは・・・
あの人、危ない。コーヒー飲みながら歩いてるよ。
である。
超難問なぞなぞのような会話(?)なのだ。
夫は、「アンタ、アレでよくわかるなぁ」と言うが、まぁ、人間は必死になればなんとかなるもんである。

医院の近くにある大きなショッピングセンターに入った。
ここには大きなフードコートがあり、車椅子でも問題なく食事ができる。そして、車椅子用の駐車場も豊富なのだ。
いつも、どこの車椅子用駐車場へ行くと思うのだが・・・
明らかに車椅子を利用していない車が、車椅子専用駐車場にたくさん駐まっている。
そのショッピングセンターは、車椅子用駐車場が本当に豊富なので、たとえかなりの駐車スペースがうまっていても、一応は車椅子用駐車場に駐車することができる。
だが・・・一番エレベーターに近いスペースは5台中4台が埋まっていた。
もちろん、その残り1枠に駐車したので問題はないのだが、こういう光景を目にすると、いつもため息が出る。
その5台枠に駐まっていた4台は、明らかに車椅子利用者の車ではないのだ。
腰の沈み込む高級セダン、軽四、軽トラ、後部座席が大量のぬいぐるみに占拠された小型車。
これらの車に、車椅子利用者を乗せるのは、絶対に無理である。よしんば乗せられたとしても、降ろせない。

車椅子利用者を車から降ろす時は、車椅子を鋭角に後部スライドドアに横付けする必要がある。(直角に横付けすると、降ろす人・介助者が立つ場所がない。また、及び腰になるので腰を痛めやすい。)
車のすぐ横に車椅子を付ける、ということは、後部ハッチバックから出した車椅子を降車するドアの横まで運ぶことになる。それには結構なスペースが必要になる。そしてその車椅子は、鋭角にドア外に置くのだから、隣の車との間に大きなスペースが必要になるのだ。
車椅子用駐車場というのは、その、「隣の車との間」がかなり広くとられている。
そして、そうでない普通の駐車スペースに車を駐車すると、絶対に、車椅子利用者を車から降ろせなくなる。車の横に車椅子を置いたり、介護者が介助するためのスペースがないからだ。
これは、車椅子利用者の介護・介助をしたことのある人ならば、絶対にわかる。

だから、車椅子利用者を乗せた車は、なんとしても車椅子専用駐車場に車を駐車しなければならない。
昨日のショッピングセンターのように、車椅子専用駐車場が豊富な所はいいのだが、そうでない場所だと、車椅子を明らかに利用していないであろう車がその専用スペースに駐車しているのを見ると、本当に怒りがこみ上げる。

昨夜も、私と夫が父を車から降ろして車椅子に座らせた時、隣の車の運転手が帰ってきた。
買い物袋をぶらさげた60代の男性だった。おひとりで。そして、もちろん車椅子ではない。
ひょいひょい~と小走りに帰ってきて、車椅子にえんやこら~と父を乗せている私たちを見ても、何も感じないようで、そのまま車で走り去った。
車椅子専用駐車場に、車椅子利用者でない人が駐車して、何も心がとがめないのだろうか。
とがめないんだろうなぁ。
だから、平気に駐車できるんだろうなぁ。
だから、バツの悪そうな顔もしないんだろうなぁ。

車椅子の父を連れていると、いつもは見えないことが見えてくる。
エレベーターに乗せるのに苦労していると、「開く」のボタンを長押しして待っていてくれる人。
車椅子の父を先にエレベーターから降ろすのに協力してくれる人。
自動ドアの「ここを押してください」のボタンを押してくれる人。
親切な人も本当にたくさんいらっしゃる。その親切が、私の心を軽くしてくれることも、たくさんある。
でも、父の車椅子の周りを走り回る子供を注意しない親や、父を指さしてアレコレ言う老婦人団体もある。
心ない人も本当にたくさんいる。

特別に親切にしてもらう必要はない。
でも、せめて、車椅子利用者でない人が、車椅子専用駐車場に駐車するのだけは、やめていただきたい。
これはたぶん、全国で見られる光景だと思う。名古屋だけじゃないと思う。
こんなことは国会でも問題にしないんだろうが・・・
そして、規則・罰則化されることもないんだろうが・・・
人の良心というヤツに、期待するしかないのだ。

これから先、車椅子利用者は増えるだろう。
いつか、誰かが、問題視してくれるといいなぁ。




お金で解決

なんだか・・・いやらし~い題名なのだが、深くつっこまないでいただきたい。
疲れたから、歩くのがイヤだ・・・だから、タクシーを使う
ぐらいの、「お金で解決」と考えてほしい。

私のボウリング修行はまだ続いている。案外私は執念深いのだ。執念深い、というか、始めたらやれるところまでやりたい、という性質なのだ。
今は10日に1回くらいの割合で、夫や知的障がいのある義弟とボウリングを楽しんでいる。
そもそも、私はボウリングが苦手だった。アベレージはなんと!40くらいだった。それが、4ヶ月前。
アベレージが80に乗ったところで、マイボールを作り、義弟の通う知的障がい者向け作業所の親子ボウリング大会に参加した。大会ではスコア170を叩き出し、「とりあえず恥ずかしくないレベル」で大会を終えることができた。

せっかく作ったマイボール。
もったいないので、その後も地道にボウリングを続けている。
ボウリング大会は6月にあった。その頃はまだマイボールにも慣れていないし、「とりあえず恥ずかしくないレベル」にすることで精一杯だった。投げるボールもストレートボールだけだった。それでも、スピード&パワーでそれなりのスコアが出せていた。
しかし・・・スピード&パワー投法というのは、なかなかに疲れる。終わった後には握力がなくなったり、中指と薬指のつけ根が痛かったりした。
これはイカン、と思い、なんとか疲れない投法を探ることにした。

ドゥ・ハワイのオーナー、ボス菅原に相談すると、
「ああ、それはねぇ、フックボールを練習するといいよ」
と言われた。
え??? フックボール???
あの、ぐい~んって曲がるボール?
あんなの、プロとかキャリアのある人しかできないんじゃない?
「私にも、できるのかなぁ」
と言うと、ボス菅原は昼休みに、ペットボトルを握って、投げ方を教えてくれた。

その形で投げるとどうしてフックボールになるのかは、全然わからなかったが、とりあえず、その週末からボウリング場で試してみた。
すると・・・曲がるではないか。
ゆっくり投げれば投げるほど、右端のレーンのエッジに沿って進み、ものすごく大きくカーブして、1番ピンと3番ピンの間に突き刺さる。で、ストライクが激増した。
そしてとうとう、スコア200を出した。
1ゲームの中に、ターキー(ストライクが3回続くやつ)が2回出て、単発のストライクも1回出た。

私のマイボールは、本来、あまり曲がらないボールである。初心者向けの、「基本的にはストレートボール用のボールだけど、曲げることもできます」レベルのものだ。
要するに、ボールの中の芯が、直進しやすいようになっている。
一方、「曲がるボール」というのもある。これは芯が「曲がる用」になっていて、フックボールが投げやすくなっているボールだ。
私の物は前者なので、基本的には曲がらないボールなのだが、ボス菅原の言うとおりに投げると、かなりのフックボールが投げられた。ついでにボール自身も激しく回転する。
・・・結構、カッコイイのである。
たくさんのピンが倒れなくても、ボールがぐい~んと曲がるのを見るだけでも、とても楽しい。

しかし・・・
夫のボールは全然曲がらないのである。
夫はアベレージが150くらいで、ボウリングは結構上手な方である。
そして、私と同じ種類のマイボールを持っている。(ちなみに、色違い)
夫はかなり「器用貧乏」な人で、なんでもソコソコやってしまう。だから何に対してもあまりのめり込まないし、必死に練習しなくてもソコソコにできてしまう。だから、「ものすごくできること」も「ものすごくできないこと」も少ない。そして、私のように、血のにじむ努力とか、必死に練習するとかいうことは一切やらない。私は熱血系、夫は塩系なのだ。
そういう人なのだが、私のボールがぐい~んと曲がるのを見ては、
「ちっ」 ←現代社会において、本当にこういう舌打ちをする人はほとんどいないだろう
と言う。スコア200を出した時なんか、口もきいてくれんかった。

ここ1ヶ月は、
「なんでアンタのボールは曲がって、ワシのボールは曲がらんのだろう」
を繰り返し言っていた。
「くやしい~」と口に出しては言わないが、きっとかなり悔しかったのだろう。PCでいろいろなボウリングのビデオを見ては、フックボールを投げるシャドー練習を密かにやっていた。
でも、私が見る限り、夫の投げ方は私がフックボールを投げる方法と、ほとんど同じだった。私と同じ投げ方をしている。なのに、私のボールは曲がって、夫のボールは激しい回転はするものの、その軌跡はストレートだ。わずか~に、かる~く、すこ~し、曲がってるかな~・・・のような感じだ。
だから夫は悩んでしまった。
「同じ投げ方なのに、なぜ」
と。

私はこの職業柄、人のやることをじ~っと見て分析するのが得意だ。
全くの門外漢だし、私の個人的な見解なのだが、どうやら、夫のマイボールは夫にとっては軽すぎるように思った。
実は私のマイボールは12ポンド。夫のマイボールも12ポンドなのである。
そう。私と同じ重さのボール、同じ種類のボールなのだ。
私の方が夫より身体が大きい。だが、男性と女性では筋肉量が違う。
そもそも、私と同じ重さというのがイカンのではないか、と思ったのだ。
軽いボールを投げると、当然スピードが出る。だから、夫のボールは、曲がる前に既にピンに到達しているのだ。フックボールは、「曲がる用ボール」でないかぎり、速いボールではやれないのだ。プロの投げているボールは「曲がる用ボール」なので、スピードが出ていても曲がる。しかし私たちの持っているボールは「曲がる用ボール」ではないので、ゆるゆるボールでしか、曲がらないのだ。

「ねぇ、ボールが軽すぎるんじゃない?」
と夫に提案した。
私の意見をあまり取り入れる夫ではないのだが、わらをもつかむ思いだったのか、ハウスボール(ボウリング場備え付けのボール)の14ポンドを投げてみた。
・・・しかし、曲がらない。
相変わらず、ボールのスピードが速い。
確かに、ハウスボールは「絶対に曲がらないボール」なのだから、無理はない。
また夫は悩んだ。

「ねぇ、曲がる用のボールを買ったら?」
と夫に提案した。
曲がる用ボールというのは、結構高価だ。生活に関係のない、タダの趣味に、それだけのお金をかけるべきか否かを、夫は悩んだ。夫は節約もしないが、大した浪費もしないタイプだ。
お金を使うことには今まで大して悩むことのなかった夫だが、今回だけはかなり悩んでいた。
「だからさぁ、曲がる用ボールを買っても曲がらなかったら、その時に悩めばいいじゃん!」
という私の一押しで、とうとう「曲がる用ボール」を買った。

そして、昨日。
できあがった「曲がる用ボール」を投げてみた。
曲がる。
ぐい~んと曲がる。
ボールを選んでくれたプロ曰く、「これで曲がらなかったら、ウソです」くらいの太鼓判を押されたボールだったが、その言葉は正しかった。そして、私の言った「軽すぎるんじゃない?」も正しかった。プロからは「軽すぎてスピードが出ると曲がりにくいですよ」と言われ、2ポンド重くして、14ポンドのボールにした。
そんなこんなで、あれだけ何をやっても曲がらなかった夫のボールが曲がっている。

「根本的な解決じゃないかもしれんが、とりあえず、お金で解決! だな」
と夫は言った。
いいではないか。
道具というのは大事だ。
私だって、振りやすいウリウリが手に入るなら、高くても買う。
良い音の出るイプヘケが手に入るなら、高くても買う。
それが道具というものだ。
ドゥ・ハワイ・カルチャースクールの受付のす~さんが、高価な硯を勧められて買った、という話を聞いたが、趣味の道具というのは、そもそも高いし、手に入れる喜びは尋常ではない。
去年、私の弟が剣道の胴を新調したが(弟は五段)、腰を抜かすような値段だ。しかし弟は満足している。
高かろうがなんだろうが、自分が認めた価値があると思うならば、それでいいのだ、と私は思う。

夫は自分の投げたボールがぐい~んと曲がるのを見て、小躍りしている。 ← 本当に小躍りしている
もう悩んではいない。
「フックボールを投げるというのは、マイボールの醍醐味だなぁ」
と言っている。
お金で解決、というのはいやらしいことかもしれないが、それで満足するなら良いのではないか、と思う。
少なくとも、悩んで悶々としているより、ずっといい。

「先生、世の中のコトの8割はお金で解決できますよ。だから、悩み過ぎちゃイカンですよ。」
と、父の介護で悩んでいた私に教えてくれた生徒さんがいたが、その通りかもしれない。
夫の新しいボールは、その8割の中に入っているのだなぁ。

posted by プアアカハイ at 20:54愛知 ☁Comment(0)日記

母の冒険

月曜日のことである。
私はレッスンで家を留守にしていた。その間、母は出かけたのだった。
母は自宅から自転車で約20分の道のりにある、「浅間町」という所へ行くつもりだった。
我が家は名古屋城の東にある。そこから、西に向かい、名古屋城のお堀に沿って走り、名古屋能楽堂を過ぎれば、ほどなく「浅間町」の大きな交差点が見えてくる。
実に簡単な行程なのだ。

・・・しかし。
ご存知の方も多いと思うのだが、母は壊滅的な方向音痴である。
本当に、びっくりするほど、方向がわからない。
今まで、母の方向音痴を実感させられる事件は何度かあった。
デパートの中、ショッピングセンターの駐車場の中、旅行で泊まったホテル、京都駅。
以前、ハラウのメンバーと一緒にスパリゾートハワイアンズに出かけたが(私は仕事で不在)、そのホテルの中でも迷子になり、一緒に行ったメンバーに発見される・・・という事件が起きている。
ホテルでは、毎年、必ず迷子になる。特に、「本館」と「別館」が存在するホテルは要注意なのである。
初めて訪れた場所で迷子になるのは理解できるが、何度か行った場所でも、よく迷子になる。
栄地下街だけは迷子にならないのが不思議でしかたない。

方向音痴の人はたいてい、地図が読めない。どうやら、イメージというものができないようなのだ。地図を持って、北の方に地図を上に向けるなどの、「地図ひっくりかえし」をやる人はほとんどが方向音痴だ。これは前職時代に発見した法則だ。
ちなみに母も「地図ひっくりかえし」をやる。自分のいる位置で、見ている方向に合わせて地図をひっくりかえす。「いつも北を上に」という地図の置き方ができない。
まぁ、方向音痴は圧倒的に女性の方が多い。ドゥ・ハワイ・カルチャースクールにも数人、方向音痴の生徒さんは、いる。しかし母ほどの方向音痴は珍しい。

母は自転車に乗って、午前11時に出発した。
暑いさなかだ。
そして、走った。
しかし、目指す浅間町はどこまで走っても、見つからない。
あきらめるか・・・と思いきや、母はなかなか根性があるのだ。そんなことくらいではへこたれない。熱中症の危険のある時間帯なので、娘の私としては、へこたれていただきたいのだが。
そして走ること、なんと2時間!
浅間町にはとうとう行きつけなかったが、他の支店が北区黒川にあることを思いだし、またあちこち迷いながら何とかその黒川店に到着したのだった。

「今日さぁ・・・言うと叱られそうだけど・・・」
と、レッスンから帰宅した私に、母は告白した。
「私はね、浅間町に行きたかったんだけど、ないのよ、浅間町が」
・・・そんな訳、ない。町はなくならん。
よくよく聞いてみると、それはすごい冒険だったのだ。

ここからは、名古屋市北西部の地理に詳しい方でないと、わからないかもしれない。
母は、イチイチ、交差点名や建物などを覚えているわけではないので(覚えていられる人なら、道に迷わん)、半分は私の推理なのだが、母が所々覚えている主要交差点や看板、お店などの情報を集約すると・・・
母の冒険(私の推理)は次のとおりだ。
自宅 → 南に向かって、大津橋(既にこの段階で間違っている) → 西に向かって、明道町(ここで北に折れれば目的地に行けるのに・・・) → そのまま西に向かって、則武新町(看板から推測) → 新幹線の高架線路に沿って北へ向かい、栄生 → 更に新幹線の高架線路に沿って北へ向かい、名鉄病院を通り過ぎ、枇杷島橋(ここで庄内川の堤防を見て、ようやく道に迷っていることを自覚したらしい。ここで東に折れれば、いつかは浅間町へ行けるのに・・・) → 堤防から北東へ向かい、枇杷島二丁目から五丁目までの細い道をくねくねと迷いながら走り、康生通 → 国道22号線に沿って更に北進し、鳥見の高速出口 → ここで東に折れ、名塚中学校の通り過ぎ、庄内通3丁目(ここで南に折れれば、浅間町に行けるのに・・・) → 更に東に向かい、イオンタウン名西を通り過ぎ、香呑町 → 更に東に向かい、どこかで北に折れて、またもや庄内川の堤防に突き当たる → また東に向かい、川沿いに走り、ザ・シーン城北(有名な超高層マンション)を発見(ここで北区黒川にも支店があることを思い出す) → 更に東に向かい、国道41号線に出る → 南に折れて、20分走って黒川に到着
・・・という道のりだ。
所要2時間、というのも、うなずける。

「もう、さぁ、行けども行けども、浅間町に着かないのよ~」
と母。
そう、何度かチャンスはあった。浅間町に行けそうで行けてない。浅間町を見事に避けて通った感じだ。
帰宅した夫に話すと、
「う~ん、見事に浅間町を避けとるなぁ」
と言った。私もそう思う。
最後にはサドルに載せているお尻が痛くなってきたらしい。
飲み物を持っていたからいいようなものの、熱中症の一歩前の状態だった。
交番の前も通ったらしい(道のりから推測するに、西区の庄内交番)が、なんとな~く通り過ぎてしまったらしい。迷子としての自覚ができていないようだ。

目的地には行けなかったが、他の支店で用事は済ませることができたようだ。
しかし、迷子になっている。確実に。
母の場合は認知症でも何でもなく、ただの方向音痴なのだが、家族に徘徊する人を持っている人は大変だろうなぁ。
母の場合は、「ただ、道に迷っているだけ」なので、見覚えのある場所からならば、自宅へ帰ることができる。帰巣本能はちゃんとしている。

「見知らぬ場所へ行くなら、前日に言うように。わかりやす~い地図を書くからさ」
と私は言った。前職時代の経験で、私は地図を書くのが得意なのだ。
しかし、ふと思った。
私が書いた地図をちゃんと読めるだろうか・・・?
また、地図をひっくりかえしているうちに、わからなくなっちゃうんじゃないか・・・?
「・・・車に乗せていくから」
と付け加えた。
その方が安心だ。
母が一人で出かけると、心配だ。また道に迷ってはいないか、ちゃんと帰ってこられるか。
いやはや・・・父とは全く違う意味で、心配な人なのである。


   
posted by プアアカハイ at 17:26愛知 ☁Comment(0)日記

脱ぎ捨てられたパンツ

カヒキラウラニご一行様がお帰りになられて早1週間。
レッスンでは、
「楽しかったです」
「しっかり騒ぎました!」
「クムに会えて感激しました」
などなどの言葉をいただき、生徒さん達も楽しんでくださったことを実感している。

ディナーショーは大いに盛り上がった。
生徒さんの中には、「先生はいいですねぇ~ 舞台の袖で間近に見られて!」とおっしゃる方もあるのだが、実は私も直美先生も、ステージは一切見られていない。
これはいつものことだ。

イベントに出演された経験のある生徒さんはよくご存知だと思うが、舞台裏はいつも戦争なのである。
髪飾り・レイ・ピン・化粧道具を長机に並べる。水のペットボトル30本・タオル20枚・鏡・サーキュレーターもその長机に載っかっている。ぎっしりだ。
衣装はハンガーラックに、使う順番に並べる。女性のドレスは全部ファスナーを下ろしておく。
・・・という準備をしてから本番に入るのだが、いざ本番になると、水のペットボトルはあちこちに飛び、タオルは誰のものかがわからなくなり、衣装の順番も狂ってくる。
それを常に整然と保ちつつ、舞台裏を運営するのが私の役割だ。今回は直美ちゃんがいてくれたので、かなりスムーズだった。

こんな感じである。
踊り終わったオラパが舞台からハケる → 汗で貼り付いた衣装を脱がす・ボタンをはずす・ファスナーを下ろす・レイやクペエをはずす → 汗をバスタオルで拭く → 水を飲ませる → 水を飲んでいる間に次の衣装を着させる準備をする → 団扇で身体をあおる → 次の衣装を着させる・ファスナーを上げる・ボタンを留める → 額の汗を拭く → 化粧と髪飾りを直す → レイを後ろで結ぶ → オラパがまた舞台へ出ていく
・・・結構、大変なのだ。

とにかく、汗の量が半端ではない。
ベタベタ、というより、びしょびしょなのだ。
で、その脱ぎ捨てた衣装はまたハンガーに掛けて、撤収しやすくする。
レイや髪飾りも使い終わったら収納しやすく並べておく。
なんてことをやっていたら、1時間のショウはあっという間で、舞台を袖から見る・・・という暇は全然ないのだ。
もちろん、クムとの打ち合わせや、クムが突然マイクを所望することにも対応する。直美ちゃんはクムの足のコンディションも整える。
実はかなり忙しいのである。
こういう裏方ができて、ようやく一人前とハワイでは言われている。これも修行の一つなのだ。

まだ、カヒキラウラニは良い。
男の子も女の子も一緒に着替える。男女それぞれがそれぞれの楽屋を使う、というハラウだと、裏方は走り回ることになる。
カヒキラウラニでは、若い男女でも、みんな下着姿で平気で一緒に着替える。時には男の子が女の子のファスナーを上げることもあるし、女の子が男の子のカマーベルトを締めることもある。私もカヒコの衣装の最後の「一締め」は男の子にやってもらっていたし、スカートのギャザーのより方を均一にするため、男の子が女の子のスカートの中に手を入れる、ということも当たり前になっている。
ハラウは「家族」なので、全然恥ずかしくないのだ。私もそうだった。

そして・・・
脱ぎ捨てた男の子達のカヒコの衣装をハンガーに掛けていた時のことだ。
山に脱ぎ捨てた衣装の下の方から、パンツが出てきた。
ズボン、という意味のパンツではない。
下着のパンツだ。

男の子は、衣装の関係でパンツをはかないことは、しばしばある。
カヒコでマロ(ふんどしのような物)を着るときなどは、お尻が露出するので、パンツははかない。私も小学生の男の子にマロをはかせたことは何度かあるので、着せ方は知っている。そういう衣装の時は、若い男性はさすがに恥ずかしいのか、自分たちで着替えている。
しかし、今回のショウでは、男の子はマロではない。
普通のズボンと長袖のビクトリア・ブラウスだ。
つまり、パンツを脱ぐ理由がないのだ。

しかし、そこに鎮座しているのは、まぎれもなく、男性の下着のパンツだ。
ちなみに、白の、メッシュの、ボクサータイプのパンツだ。
パンツとしての役割しか果たせないようなパンツだ。女性のような、ガードルの代替えとか、下着写り防止の下着ではない。
もしかして、あのフツーのズボンの衣装の下に、パンツをはいていない、ということか???

踊り終わって、男の子達が舞台からハケてきた。
「ねぇ、このパンツどうするの? 次の衣装の時に、はく?」
と尋ねた。
もしパンツをはくなら、こんなオバサンでも、一応、よそを向いていてあげないと可愛そうだ。
後で、「アンティー・サユリ(さゆりおばちゃん)に見られた」などと言われたくない。言わないだろうが。
すると、
「はかな~い! 最後まで、はかな~い!」
あ、そう・・・はかないんですか。
なんとなく、心配になることはないんだろうか。開放感がありすぎる、というか、落ち着かないと思うのだが。

そして、熱狂の渦の中、ショウは終わった。
はたして・・・この中の何人が、彼らがパンツをはいていなかったと気づいていただろうか。

ショウが終わって、夕食の時にこっそり聞いてみた。
「ねぇ、マロならわかるけどさぁ、普通のズボンでもパンツはかないの?」
・・・オバサンになると、恥ずかしくもなく聞ける。
「はいてる人もいるけど、僕たちははかないよ。だって、動きが制限されるから。」
なるほど。
いや、待て。
ブラジャーならば、無尽蔵には伸びないので(無尽蔵に伸びたら、ブラジャーの意味がない)、動きが制限されることはある。だから、私も社会人剣道をやっていた時はブラジャーはつけなかった。そして、そういう人がほとんどだった。
しかし、コトは、パンツである。
パンツは伸びる。しかも、ハワイで売られている、よく伸びるメッシュタイプのボクサーパンツだ。これの、どこが、「動きが制限される」のか???

ついでに、クムにも聞いてみた。
クム曰く、「元々、パンツはハワイにはなかったから、はかずに踊るのが自然だ」とのこと。
こう言われると、実によくわかる。
実は、日本の武道でも、子供のうちはともかく、大人はほとんどパンツをはかないのだ。
柔道も、剣道も、空手も、合気道も、弓道も。
剣道の場合、女性はみんなパンツをはいていたが、柔道女子はパンツをはかない人がちらほらいた記憶がある。私の弟も剣道五段だが、彼は中学生くらいから、袴の下はパンツをはいていなかった。
元々、日本にもパンツなるものは、なかったからだ。女性は腰巻き、男性はふんどしだ。ちなみに私の祖母は死ぬまでパンツをはかず、腰巻きで生活していた。
その話をクムにかいつまんで話すと、「伝統文化では、元々の形でやるのが自然なんだろうね」と言われた。

だが、しかし。
私はやはりパンツを脱ぎ捨てる気にはなれない。
剣道の時も、パンツはいつもはいていた。はいていないと、落ち着かない。確かに弟は、「はかないと、動きやすいよ~」と言っていたが、私はイヤだった。
フラでは、特にイヤだ。
パンツもはかずにドレスを着るとか、パウをはくなど、考えられない。現代の日本人はみんなそうだと思う。
ちなみに、ハワイの女の子のオラパはパンツをはいている。
Tバックとボクサータイプが多かったように思う。

「パンツの謎」は解明された。
賛同・実践するかどうかは別として、「なるほどなぁ・・・」と思った。
次回、舞台裏のお手伝いの時は、脱ぎ捨てられたパンツを見てびっくりすることはないだろう。
気づかないフリもできそうだ。
これも伝統文化の原型なのだと、理解しよう!






posted by プアアカハイ at 21:24愛知 ☁Comment(0)日記

我が家のそうめん

カイオロヒアの皆様、コメントをありがとうございます!
こちらこそ、不手際も多かったと思いますが、みなさんのご協力で無事、全日程を終えることができました。
一緒にワークを受けて、フラシスターがたくさん来てくれているというのは、本当に心強いです。
そして、大師巻・・・。最高です!! 以前お取り寄せした時は2ヶ月待ちでした。幸せを噛みしめながら、いただいております。
ありがとうございました!

全日程が終わり、ものすごく疲れていたので、もっと長期間、身体が動かないと思っていたのですが・・・
案外、平気。
さすがにカヒキラウラニご一行様がお帰りになった翌日(水曜日)は、半日ほどグダグダしていたのだが、その後はなんてことなく、フツーに生きている。
フツーにレッスンし、フツーに料理し、フツーにお弁当を作っている。

昨日と今日の名古屋はものすごく暑かった。
昨日の午後4時過ぎにレッスンが終わってから車に乗り込むと、車外温度計はなんと40度だった!
これだけ暑いと、食欲がなくなる。一般的には。
実は私、そもそも夏バテした記憶がない。少なくとも、20年以上は夏バテしていない。だから、どんなに暑くても忙しくても、「食欲がなくなる」ということがないのだ。そういう経験は今までの人生の中で、ほとんどない。数えるほどだ。食べるということそのものが、私の健康の源なのだ。

とはいえ、それは私だけのこと。
母も夫も、結構小食だ。
母は年中、小食だが、夫は夏は本当に食べない。その一方で、私は年がら年中、大食漢だ。
そう、我が家の食事では、私を基準にしてはイカンのだ。
そこで、今夜は私の「会心の素麺」を作った。
こんな感じの素麺である。
そうめん.jpg


私は素麺を茹でて、つけ汁につけて食べるのがあまり好きではない。
こんな感じに、いろいろな具を載せて、薄味のだし汁をかけて食べるのが好きなのだ。
今夜の具は・・・
錦糸玉子、甘めに煮た椎茸、片栗粉で洗ってからお酒と水でさっと茹でた大きめのエビ、ごま油で揚げてからだし汁に一晩漬け込んだナスとシシトウとカボチャ。
こうして書いてみると、結構良いバランスだ。
具はぞれぞれに味が付けてあるので、ぶっかけただし汁は薄味。

母は当然ながら完食した。
夫はまだ帰宅していないので、どうかな・・・
夫はかなり好き嫌いが激しいので、毎日、食べるかどうかが心配なのだ。

暑いときはとかく、つるつるっとしたものが食べたくなる。
でも、それだとなかなか栄養が取りにくい。
いつもの素麺に飽きた方はぜひお試しください!
posted by プアアカハイ at 20:24愛知 ☁Comment(0)日記