故宮博物院へ

台湾の故宮博物院は前からずっと、ゆっくり見たかった所だ。
私は中国そのものではなく、中国の歴史がとても好きだ。
そもそも、私が中国の歴史に興味を持ったのは・・・いったい、いつのことだったろう。
一番最初は、たぶん「西太后」という映画を見た時だと思う。これは小学生くらいの頃なので、大して覚えてはいないのだが、とにかく強烈な印象だった。あの映画は西太后がかなりデフォルメされている、と思うが、その当時の私は「すごい!」としか思わなかった。
時は過ぎ・・・中学や高校で世界史や日本史には度々、中国が出てきた。面白いなぁ、とは思ったが、そのまま大して深く学ぼうとは思わなかった。
そしてまたまた時は過ぎ・・・20歳くらいの時、「ラスト・エンペラー」という映画を見た。「う~ん、これは・・・」と、心の琴線に触れた。
映画の登場人物レジナルド・ジョンストンの書いた「紫禁城の黄昏」を皮切りに、三国志から則天武后もの、はたまた宋姉妹ものも、軒並み読みあさった。
読んでいて、気がついた。
中国の歴史の本って、漢字だらけだ。読みにくい。ものすごく小さな字で中国語読みのルビがカタカナで振ってあるが、小さな字を読むのが面倒くさい。
そうだ! 中国語を勉強しよう!
・・・という具合で、私の中国語学校通いが始まったのである。
今から、25~6年も前の話だ。

フラを学ぶようになった今でも、テレビで中国の歴史ものをやっていると、絶対に見ている。中国の歴史、特に清王朝の乾隆帝のあたりの本は大好きで、本屋さんで新書を見つけると、つい買ってしまう。
そんな私にとって、故宮博物院は憧れの場所なのである。

台湾の故宮博物院で一番有名なのが・・・
DSC_0088.jpg

コレと、
DSC_0125_CENTER.jpg

コレ。
そう、翡翠で作られた「白菜」と加工技術のリアルさに驚く「肉石」である。
ちなみにこれらの写真は内緒で撮ったわけではない。この博物館ではフラッシュさえ使わなければ、撮影しても良いのだ。(太っ腹!)
この「白菜」と「肉石」の周囲は一日中、見学者の途絶えることはない。人の頭の後ろからのぞき込むように見なければならない。
・・・が、朝8時30分の開館と同時に「白菜」「肉石」に直行すれば、結構じっくり見られる。私と夫は開館してすぐに「白菜」へ行ったので、かぶりつきで見ることができた。

一番有名なのはこの2つなのだが、私が今回、ものすごく見たかったのはこの2点ではない。
私が見たかったのはコレだ。
DSC_0097.jpg

これは象牙で作られている。一番上の鎖部分から一番下の細工までが、1本の象牙を彫って作られている。で、真ん中の玉の中にはまた玉が入っている。
写真を見た母は、「どうやって中の玉を入れたんかねぇ」と言っていたが、玉を中に入れたのではなく、彫りながら、中の玉をまた彫り、そのまた中の玉を彫り・・・というものなのだ。これは中に16個の玉が入っていて、一番外の玉と合わせて17個の玉でできている。
1537773073914.jpg

どうやら、24個の玉でできたものもあるらしい。・・・気が遠くなる。
この作品は祖父・父・子と、3世代に渡って作られた。老眼になったら、できんなぁ。それでも100年くらいはかかるかなぁ。

これも見たかった物の一つ。
DSC_0276.jpg

これもよくガイドブックに載っているが、白磁の「枕」である。
カワイイけど・・・陶器の枕とは、なんとも首と後頭部が痛そうだ。うつ伏せで寝ることなんぞ、絶対にできんだろう。

清王朝6代乾隆帝の命により作られた品々も、非常に興味深い。
この頃は国がとても安定し、外国からのイエズス会士の技術者が中国に入ってきて、新しい技術・芸術が中国にもたらされた。だから、ものすごく高価で、芸術性が高く、技術も素晴らしい。
DSC_0403_CENTER.jpg

これはその時代の最高傑作と言われているらしい。
壺の中に、もう一つ円筒形の壺が入っている。外の壺には窓が開いていて、中の壺を回すと金魚が窓から見える。
なんともはや、優雅な逸品だ。
これは芸術作品で、「使うための物」ではないのだが、「使うための物」も、非常に芸術性が高い。

DSC_0255.jpg

これは「お椀」。「使うための物」だ。
この絵付けをしたのは、ジョゼッペ・カスティリョーネ。私はこの人についての本も読んだのだが、この人はベネツィア出身のイエズス会士だ。まだ20代の頃、イエズス会に命じられ、遠い中国へやって来た。恋人とも友人とも別れ、かのヴィヴァルディ(!)にも思いとどまるよう説得されたが、彼はイエズス会の命に従った。渡航の目的はもちろん、布教だ。キリスト教には興味のなかった清王朝だったが、彼らの持つ素晴らしい技術を取り入れるため、布教を許した、とされている。そう言えば、義和団の乱の写真で、焼かれた教会が写っていた。きっと教会を建てて、そこで布教の傍ら、芸術作品を作っていたのだろうなぁ。
彼が中国に渡ったのは清王朝4代康熙帝の頃だから、4代・5代・6代と、3代の王に仕えたことになる。カスティリョーネの本業は画家だが、ガラスの技術も高かったらしい。
このお椀は当代の王に捧げる物だから中国的な図柄だが、ヨーロッパの香りを感じる作品だ。彼の作品を見ることが出来て、本当に感激した。

テレビドラマや映画でよく見る、「飾り爪」。
DSC_0440.jpg

金のすかし細工や、翡翠、玉、真珠が使われている。
王家の貴婦人達が、薬指と小指の爪にこれをはめる。だから2本セットになっている。
蓋付きのお茶碗で中国茶を飲む貴婦人が、優雅に、薬指と小指を使わずに、残り3本の指で蓋をずらしている。確かに、こんな飾り爪が付いていたら、その2本の指は絶対に使えないだろうなぁ。
ちなみに「飾り爪」は、満民族特有の物なので、清王朝の時代の物しか、故宮博物館にはない。

同じく、清王朝時代のかんざし。
DSC_0433.jpg

翡翠や玉、瑪瑙、真珠、ルビーやサファイアも使われている。
これを王家の貴婦人達が身につけていた(しかも1人1個ではない、何個も身につける)ことを考えると・・・清王朝末期には軍備費に苦労していたのがわかるような・・・

これも清王朝時代の笄(こうがい)。日本だと笄はよく吉原の花魁が髪にかんざしのように挿していたが、清王朝ではそういう使い方ではない。
DSC_0432.jpg

清王朝は満民族なので、髪型は両把頭と言われる髪型で、この笄にてっぺんの髪を巻き付けて左右に大きく張り出す。後頭部はツバメの尻尾みたいな髷をいくつか作る。なんともけったいな髪型だ。こういうやつ→両把頭
私の髪の長さがあれば、できるかもしれんが。

清王朝の皇帝や高官の頂戴。
「頂戴」とは、「コレちょうだい!」の「ちょうだい」ではない。皇帝や高官や高位の宦官の帽子のてっぺんに付ける飾り。
確かに・・・漢字で書くと、「頂(いただき・頂上)に戴く(いただく・のせる)」だなぁ。
DSC_0423.jpg


清王朝の如意。
公式の場で持つ棒のこと。日本では笏と呼び、お札になっていた聖徳太子が手に持っていた。(アレは縦型)
DSC_0445_TRIPART.jpg

聖徳太子が持っていたのは木製っぽかったが、これは純金だ。豪華すぎる・・・。

中国の歴史年表を見ると、国の名前が次々と変わっていることに気づく。
豊臣秀吉が攻めていたのは「明」だったし、聖徳太子の頃は「隋」、阿倍仲麻呂や李白は「唐」、神風が吹いた時は「元」。
前の王朝が倒れて、次の王朝が始まる。日本にはないことだ。
中国は広いから、次の王朝が王府北京近辺の民族とは限らない。
モンゴル族だったこともあるし、満民族だったこともある。漢民族の王朝ばかりではなかったのだ。

展示品のプレートには、
「唐 ○○代××帝  作品名・素材名」
としか、書いていない。
西暦何年、という表示がない。
だから、作品を見る前に、隋が西暦何年くらいのことなのか、元が日本の何時代に当たるのか、というのをおさらいしておかないと、それがどれくらい古い物なのか、わからん。
しかも、「明」も「清」も300年近い王朝だったから、その何代目の皇帝かによって、だいぶ西暦年がずれる。
・・・なかなか、やっかいなのである。
「みっちゃん!(夫のこと) この壺さぁ、1400年代後半くらいだよ!」
とか、
「この酒器は800年代だよ!」
ついでに「この青い釉薬はトルコから渡ってきたんだって!」
と、イチイチ私は西暦に換算したり説明文を読んで夫に言うのだが、夫は大して興味がないので(興味もないのに丸々2日間つき合わせた)、
「ふ~ん」「へぇ~」「古いんだねぇ」「素晴らしいねぇ」
くらいしか、返事がない。
その代わり、たくさん写真を撮影してくれたけど。
興味もないのに、つき合わせて、実に申し訳ない・・・。
私も、夫にイチイチ説明するつもりはないのだが、興奮のあまり、感激のあまり、
「この香炉、900年代の物だよ!」
・・・という具合になってしまうのだ。

ところが、紀元前の作品には西暦が記してあった。
DSC_0231.jpg

この、真ん中の乳白色のピッチャーは、この博物館の所蔵品の中で一番古い。
なんと!
「紀元前3400年 旧石器時代」
などと書いてあった。
紀元前3400年!!! それって、いつのことだ! ・・・と思ってしまう。
確かにその頃、メソポタミアが建国され、黄河文明が始まったのだが・・・
あんまり古すぎて、ピンとこない。
日本だと、縄文時代になるのか? 
漫画テルマエ・ロマエのハドリアヌス帝は紀元100年くらいだし、クレオパトラだって、せいぜい紀元前60年くらいだ。
昔、テレビアニメで見た「はじめ人間ギャートルズ」の頃か???

いやはや・・・2日間に渡って、お宝の数々をじっくり見たので、本当に目の保養になった。
まさに、「目が潰れる」思いだ。
金や宝石を散りばめた豪華絢爛な物もあれば、白磁や青磁のシンプルな美もある。曜変天目のような偶然の美もある。
いくら見ていても、飽きない。
夫はどうか知らんが、私は興奮と感激の2日間だった。

実は、2日間通って、全部の収蔵品は見られていない。
今回は書画を割愛している。彫刻・細工・陶磁器だけで2日間を要した。
書画については、次回また訪ねた時に見るつもり。
次への課題を残しておくと、また訪ねるのが楽しみになる・・・というのが私の持論だ。
台湾なら近いし、また行くこともできるだろう・・・とヤマを張ったのだ。
さて、それはいつのことになるやら・・・
それまでは、買ってきた「故宮博物院所蔵品写真集」を読んだり、夫が撮ってくれた写真を眺めて楽しもうと思う。

故宮博物院の収蔵品は本当に素晴らしい。
ツアーで行かれた方は多いと思うが、時間があれば、もう1日行かれるのもお勧めだ。
時間がなければ、テーマを決めて見るのもお勧めだ。
太好了! 很好了!












台湾へ

先週末、夫と2人で台湾へ行ってきた。
夫は今年、還暦。来年春には定年を迎えるので、その「卒業旅行」の名目だ。
かねてからゆっくり見てみたかった故宮博物院へ日参できた。

いつも夫と旅行するときは、「フツーの旅行」だ。
大して豪華ではなく、さりとて「節約第一旅行」でもない、「フツーの旅行」。
でも今回はおっとの記念すべき(!)卒業旅行なので、利用するのが初めてと言っていいくらいだが、旅行会社に手配を頼んだ。
飛行機はJALのビジネス、ホテルはリージェント台北の最上階角部屋コーナースイートだった。
要するに、気合いの入った旅行だったのである。
こんなことは一生に一度しか、ない。
っていうか、一生に一度で十分だ。目が潰れる。

なんで、「台湾」なのか。
ハワイでもいいじゃないか、と思われるかもしれない。
・・・が。
ハワイでは常に仕事モードになってしまう。
仕事から離れて、単純に観光を楽しむ旅行がしたかったのである。
そしてもう一つ。
私は昔々、結構長いこと、北京語を勉強していたのである。フラを学ぶ前のことだ。
北京語は台湾語とは発音が相当違うのだが、文法や単語は同じだ。読み方が違うだけだ。今でも、中文の新聞は理解できる。だから英語圏の国じゃないけど、そんなに困らんだろう・・・と思ったのである。5月から、昔に勉強した北京語のテキストを読み返し、準備した。(だいぶ、忘れていた)

で、いざ、台湾へ!
ホテルに荷物を預けてすぐに外出。
行ったのは、迪化街。←この最初の字を探すのに苦労した。
ドライフルーツと花布を買いに行った。ここでは日本人には遭遇しなかった。
こんな古い町並み。映画のロケにも使われるそうだ。
DSC_0009.jpg

ドライフルーツは袋入りの物を買ったので苦労しなかった(店主はなぜか英語が堪能だった)が、花柄の布「客家花布」を買うときは苦労した。布を買う場合は、この布を何ヤード、と注文しなければならない。日本語が通じる、とガイドブックにも載っているが、日本語は全然通じない。当然、英語も。思い出し思い出ししながら、北京語で言ってみたが、ほぼ通じない。が、めげずに北京語で何度も何度も言ってみると、ちゃんと通じた。
「作って製品にしようか?」
と聞かれた。この街では、布を注文して製品にもできるらしい。
「自分で作るから、作ってもらわなくていいよ」
と答えた。
「何を作るつもりなの?」
「お弁当袋」
・・・慣れない言語の会話はものすごく疲れる。ちゃっちゃっと買って店を出たい・・・汗が出る・・・
でも、楽しい経験だった。

蒸し暑さに閉口し、喫茶店に入ってみた。
注文したのは、緑茶の烏龍茶。
DSC_0011.jpg

ボトルに温かいお茶が入っていて、氷がびっしり入ったグラスが出された。
結構な量のお茶だが、安い。
お店のお姉さんは20代のカワイイ子だった。このお姉さんは英語がかなりできたので、ついでに漢方薬屋さんへの道筋を確認した。
でも、日本語はダメだった・・・。ガイドブックに「日本語はほとんど通じる」と書いてあるが、アレは日本人慣れした観光客向けの店だけのことかもしれん。

漢方薬屋さんで西太后の使っていた成分を復刻した石けんを買い込み、ホテル・オークラで評判のパイナップルケーキを予約注文して、夕方にホテルの部屋へ入った。ここまでで歩いた距離はなんと10キロ。なんとも体力の要る旅行である。
部屋はこんな感じ。
DSC_0021.jpg

これはリビングの部分で、寝るところはこんな感じ。いつもとは違う部屋の広さにとまどう私。
DSC_0020.jpg

なぜか、ベッドの1つに「ハッピー・バースデイ」の飾りが。
DSC_0023.jpg

チェックインする時に、夫の誕生日が11月なの見て、「ハッピー・バースデイ!」と言われた。
ちょっと、待て。
まだ9月だ。夫の誕生日には2ヶ月あるではないか。それで、「ハッピー・バースデイ!」なのか???
でも、心遣いが嬉しい。
ちなみにバスルームは巨大。クローゼットもウォークイン・クローゼットだった。
バスルームはシャワールームが別になっていて、こんな感じ。
DSC_0019.jpg

バス・トイレ・洗面台・シャワールームだけで、20畳は軽く、ある。
一般庶民の私と夫には、本当に目が潰れる。

窓から見た台北の景色。
DSC_0031.jpg

夜になると、こんな感じ。
DSC_0459.jpg

角部屋なので、部屋の2面が全面ガラスになっていて、景色が良かった。
DSC_0460.jpg


次の日からは観光へ。鉄板の観光スポットめぐりだ。
台北101という高いビルへ。
IMGP0730.jpg

竹の節みたいになってる。金融関係の会社がたくさんテナントに入っているらしく、「すぐに伸びる竹」をイメージしたとのこと。なるほど。
東芝製の世界最速を誇るエレベーターに乗って展望台へ。
DSC_0037_CENTER.jpg

さらにそこから2階昇って、91階。
DSC_0042.jpg

展望デッキから見た台北。この日は終日晴れていたので、よく見えた。
IMGP0729.jpg


中正記念堂へ。
DSC_0050.jpg

「中正」は蒋介石の正名。だから蒋介石の巨大な像がある。
IMGP0732.jpg

衛兵交代式。この日、ここでは陸軍だった。
DSC_0061.jpg

この衛兵は身長180センチ以上の見目麗しい人が選ばれる。瞬きを全くしない。瞬きしないので、最初は人形かと思った。ガイドさん曰く、「瞬きしない訓練をする」のだそうだ。目が乾く!

龍山寺へ。
DSC_0066.jpg

おみくじをやってみた。
名前・住所・年齢を言ってからお願い事を念じ、陰と陽の形になった、かまぼこ状の物2個を地面に投げる。1個が表、1個が裏になるまで続ける。私は3回目、夫は1回で裏と表が出た。で、番号の書いてある棒を引く。引き出しタンスに番号が書いてあり、引いた番号の引き出しの中にあるおみくじ紙をもらう。なんと、これがタダなのだ。
夫は「上上」(たぶん大吉)、私は「上平」(たぶん小吉)だった。

忠烈祠へ。
ここでも衛兵交代式が見られた。
DSC_0079.jpg

ここでは空軍。
衛兵が歩いた跡は、茶色の線が残っている。靴裏に打ってある鋲の破片が錆びて、この線をつけたようだ。

夕方は九扮へ。
瀬戸内海みたい。
00060001.jpg

「千と千尋」の映画のモデルになった場所なので、ものすごい日本人観光客だった。
通路のほとんどが階段なのだが、普通に歩けない。
180921_185237_00049107.jpg

ガイドさんを見失わないよう、必死な私。
180921_184619_00011142.jpg

ここが一番の写真スポットらしい。階段下の広場。
00070001.jpg

通路は狭くて、両側にお店が並んでいる。
DSC_0103.jpg

とにかく、強烈な臭い。揚げ物や、獣っぽい臭いのするソーセージ、甘い臭いが混在している。
「千と千尋」のモデルになった場所はここらしい。実は私も夫もその映画は見ていないので、「ふ~ん」という感じだった。
IMGP0753.jpg

景色そのものよりも、私の前にいる人の多さに目がいってしまう・・・。
夫が撮った写真の方がキレイ。
DSC_0106.jpg


故宮博物院は???
これについては私の思い入れが強いので、また明日!











ゆっくりできたお盆休み

こんなにゆっくり過ごしたお盆休みって、初めてかもしれない。
前職では、お盆休みなるものは存在しなかったし、たとえ休みだったとしても、私の家のお墓掃除と夫の家のお墓掃除や草刈りなんかで、渋滞に巻き込まれての外出とは無縁だった。
今年は・・・
首の手術のおかげで(?)、どこへも出かけず、ひたすら家でじ~っとしていた。

元々、じっとしている生活とは無縁な人生を歩んでいるので、いざ、「じっとしていなさい」と言われても、なかなか難しい。
とはいえ、「汗をかかないように」「外出を控えるように」と医師からは念を押されているので、あれこれ動くわけにもいかない。
結局、手術を終えてからというもの、一日中、テレビで高校野球を見て、かねてから読みたかった文庫本を3冊読破した。

仕事を始めたのは昨日から。
新潟のイベントのMC原稿を作った。久しぶりにアタマを使ったので、ものすごく疲れてしまい、ついでに昼寝までしてしまった。
ああ・・・なんて怠惰なんだ。
寝ては起き、食べ、本を読み、テレビをながめる。
人はコレを、「幸せ」と呼ぶかもしれんが、いい加減、飽きてきた。

明日からは新潟のイベントだ。
ようやく、日常が戻ってきた。
がんばるぞ~
posted by プアアカハイ at 16:56愛知 ☁Comment(0)日記

抜糸

昨日、無事に抜糸した。
私は傷口を見ていないのだけれど(後ろの首なので、見えない)、医師や看護師の談によると、「ものすごくキレイだよ!」だそうだ。
今朝、貼ってある絆創膏のあまりのかゆさに、ちょびっと、めくってみた。
母曰く、「赤くもなってないし、もう肌色だよ。ケロイドにもなってないし、伸びたら、髪の毛に隠れるよ。」らしい。
そう、私がケロイド体質でないのは、26年前の手術で実証済みだ。
医師は抜糸する時、
「痛いからねぇ~ 我慢してね~ はい、リラックスして~」
と言ったが、私にとってはサージカル・テープのかゆみの方がひどかったので、ちっとも痛くはなかった。
「あと、1針分ね~」
と、イチイチ実況中継してくれるが、こちとら、痛みも恐怖もない。ただただ、かゆいのだ。

「かゆい」というのは、「痛い」よりも耐えがたい。
昔、中世ヨーロッパで行われていた拷問にも、「くすぐりの刑」というのがあったらしいが、それは大いに理解できる。
実に、かゆみと戦った12日間だった。

青々と剃り上がっていた頭部面積の4分の1は、既に「つまめる」くらいの髪が生えてきている。
なんとなく、カワイイ手ぬぐいで覆ってはいるが、見て気がつかない人もいるだろう・・・ぐらいの感じになっている。
傷がキレイにひっついたのも、髪が順調に伸びてきているのも、すべては母の作る「タンパク質豊富な食事」のおかげだ。太るかもしれんが、フラ・ダンサーにとっては、太ることよりも髪の毛の方が大事なのである。フラは、「太ってもいい唯一の芸術的舞踊」だ、と私は思っている。
とにかく、傷の治りも髪も順調だ。

さて、今週末は新潟へ出張だ。
ANAホテル新潟で行われる「ホテルで楽しむハワイアン」のMCをする。
毎年、この行事を楽しみにご来場くださるお客様方に会える。それは私にとっても、大きな楽しみの一つだ。(新潟のお米も楽しみだ)

髪の毛はこんなんだけど、幸運なことに、残り4分の3の頭部面積にはたっぷりと1メートル近い髪が生えている。髪を下ろしてしまえば、誰もこの傷や髪には気づかないだろう。
・・・ああ、良かった。
とりあえず、そうは言っても、「剃り跡隠し用」の帽子を用意した。
あの、チェーンの、「ア○ホテル」の社長がかぶっているような帽子だ。(実は私はかなりの数の帽子を持ってる)
気に入って買った帽子なのだが、あまりの派手さに、「フツーにかぶれん帽子」と位置づけられている、なかなか登場の機会のない帽子だ。
新潟会場・名古屋会場でお会いできる皆さん、私の「ア○ホテル社長帽子」を楽しみにしていてください!

posted by プアアカハイ at 11:28愛知 ☁Comment(0)日記

生えてきた~!

緊急の手術から、今日で1週間。
もう、そんなに経つんだなぁ。
レッスンは昨日から始めた。(今日から盆休みだけど)
今日は父の通院へ、問題なく行った。(父の通院そのものには問題がたくさんあるが)
明日は車の点検と夫の実家のお墓掃除。
まだ、ちょこっと貧血気味なのでフラフラするが、日常生活には問題ない。
・・・っていうか、やることがたくさんあって、のんびり養生なんぞ、しておれん。

抜糸は来週なのだが、先週の診察で医師が、「あ、すごくキレイに治ってきていますよ。ほとんどもう、くっついていますね。もう濡らしても大丈夫ですよ。」とおっしゃった。それ以来、シャワーだけでなく、湯船にも浸かっている。湯船に浸かるようになってから、夜も傷口がひきつれるものの、よく眠れる。
私は元々、ケロイド体質ではないので、26年前の手術痕もなかなかいい感じ(?)なのだが、医師の「キレイにくっついている」の言葉を聞いて、ほっとした。胸の手術痕と違って、首の後ろというのは、いずれアップに髪を結った時に人の目に触れる。

で、手鏡と三面鏡を駆使して傷口を見てみた。
夫は、「アンタ、よく見れるなぁ!」と言っていたが、私は平気なのである。手術も2回目だ。なんてこと、ない。
すると・・・
確かに、医師が言ったとおり、かなりキレイにくっついている。膨れてもいないし、赤くもなっていない。皮膚の色は他の場所と同じだ。
ついでに、髪の生え具合も見てみた。
生えてきてる~! やった~!
ポヤポヤ~とした力ない毛ではない。普通の、黒いしっかりとした毛だ。ちょうど、中学生の男子の刈り上げしたばっかの襟足みたいな感じ。
夫によく見てもらったが、白髪もないようだ。(おかげさまで私は白髪がない)
よく、「円形脱毛症から復帰したら白髪が生えてきた」という話を聞くが、私の場合、脱毛ではなく剃毛なので良かったのか? 毛根を残した状態の剃毛だから、元々生えていたのと同じ、黒髪が生えてきたのか? よくわからないが、ありがたい。

抜糸までは毎日、自分でガーゼを取り替える。
首の後ろなので貼りにくいが、もう大して痛くはないので、傷口を手で触りながら場所を特定してガーゼを貼っている。手で触ったりしていたら、ガーゼの意味がないような気もするが。
抜糸は来週水曜日。
実は私は、抜糸をするのは、ほぼ初めてだ。26年前に手術した時は、当時開発されたばかりの「カニの甲羅から作った糸」で縫われ、抜糸の必要がなかった。勝手に皮膚になってしまう、というものだった。お腹に入れられたドレーン(体液を排出する管)を外した時だけ、普通の糸で縫われて、抜糸された。私は抜糸の経験がそれ以外には、ない。
抜糸が済めば、もっと首の可動域も広がるだろうし、お風呂でももっと洗いやすくなるだろう。
髪も生えてきたし、普通に生活できるのが楽しみだなぁ~
posted by プアアカハイ at 21:52愛知 ☁Comment(0)日記