咳の原因は ~その2~

前回の続き。
火曜日は市民病院への通院となった。
知的障害のある義弟の咳の原因とレントゲン写真の肺の白さを解明するためだ。
その日の朝は、夫を送り出した後、支度をし、7時に(!)自宅を出発した。
朝の通勤ラッシュがあるため、この時間に出発しないと、義弟の住む家までは2時間近くかかってしまう。結構な「旅」なのだ。

義弟の家に着いたのは8時30分。
そこから義弟を車に乗せ、まずは金曜日に行った医院へ行き、紹介状と検査結果を受け取り、それから市民病院へ転進した。
この紹介状には驚いた。
紹介状を書いてもらうには、当然、文書料が発生する。これは、障害者医療でも同じだ。
文書料は医院によって値段が違う。
先日、父と母の難病認定更新のためにそれぞれ主治医による診断書を書いてもらったのだが、父の主治医と母の主治医では値段が3倍(!)も違ったのである。
父の診断書の文書料は5400円だった。(5000円+消費税)
しかし母の診断書の文書料は、なんと、16200円(15000円+消費税)だったのだ!!!
書式の決まっている、双方同じような診断書なのだが、お値段は3倍もする。
義弟の行った呼吸器内科の医院では、文書料がいくらなのかわからなかったので、母の例もあるため、結構なお金を持って出かけた。
ところが・・・
「小笠原さん、じゃあ、この紹介状を持って行ってくださいね」
と、受付で封筒を受け取った。
「文書料は、おいくらだったでしょうか?」
と尋ねると、
「いえ、いりませんよ」
と言われた。
ええええ~! タダなの~!
かなり驚いたが、出費がおさえられた。助かるなぁ。

市民病院に到着し、初診受付を済ませたのは9時9分だった。
ここまではかなり順調だったのだ。考え得る、最短の作業・最短の行程を経て、ここまで至った。
ところが、である。
ここからが長かった。
私は若い頃に大学病院で大きな手術をしているので、大病院がどれくらいの待ち時間なのか、どういうシステムなのかは、よくわかっていた。
初診の場合の待ち時間は、3時間くらいになるだろうなぁ~と予想をしていた。
9時9分の受付だから、呼ばれるのは正午になるだろうなぁ、と。
義弟には自宅を出る時に、
「たぶん、3時間くらい待たなきゃならんだろうから、暇つぶしの本でも、持って行こうか?」
と行ったのだが、
「ううん、いい。いらない。いろんな人を見てるから、大丈夫。」
と言った。義弟は漢字に読み仮名をふった本なら読めるので、時間つぶしの本を持参することを勧めたのだが、本人はいらない、と言う。
「でもねぇ、病院だからね、待合室でおしゃべりはできないんだよ。静かにしていなきゃイカンでね、長くなると暇つぶしの物がほしくなるよ。」
と、もう一度勧めてみたが、彼の返事は同じだった。
いつも通院している精神科の病院は、待合室がかなり騒がしく、患者さん達の多くは何かしらおしゃべりをしているので、その病院ではいつも、義弟は私とおしゃべりしながら診察を待っている。でもこの日は内科なのだ。具合の悪い人ばかりだろうから、おしゃべりする声を気にする人が多いだろう。
・・・という心配はあった。

義弟は指定された待合のソファに腰掛け、そこにやって来る患者さん達をウォッチングしていた。
受付でも、簡単なメディカルチェックをしてくれた看護師さんにも、「知的障害があります」と伝えたのだが、一般の待合室だった。最近の大きな病院は、他の患者さんに迷惑をかけそうな患者は、他の待合室を案内することが増えてきたようだが、ここではそういうものがないようだった。
義弟は、やって来る患者さんを観察し、ものすごく小さな声で少しおしゃべりしたりで、他の人に迷惑にならないように、頑張っていた。
しかしそれも2時間を過ぎると、できなくなってきた。
待合室が少しずつ、すいてきたのを見た義弟は、ものすごく小さな声で歌を歌い始めた。そう、彼は歌を歌うのが大好きなのだ。何かの作業中は大抵、歌を歌っている。作業所では静かにしているらしいが。
要するに、ちょっと油断すると、歌を歌ってしまうのだ。
でも、その待合室はかなり人が少なくなっていたので、特別に迷惑になるような状況ではなかった。たまに、「あれ?」という目で義弟を見る人はいたが、私が「すみません。知的障害があるので、ご迷惑をおかけしています」と言うと、「大変ですね」とねぎらってくれる人がほとんどだった。

そして、3時間が経過した。時計は正午を指していた。
義弟は顔面チックを起こしていた。
「顔面チック」とは、顔がヒクヒクするやつである。疲れ目なんかだと、目の周りがヒクヒクしたりする。あれと同じだ。主に、ストレスによって起こる症状だ。
義弟の場合は、顔全体がヒクヒクする。表情が全くわからないほどに痙攣する。
さすがにこれはイカン、と思い、内科受付へ行った。
そして、もう一度、知的障害があることを説明し、顔面チックになっていることを伝えた。あと、どれくらいの待ち時間なのか、何人の患者さんを待つ必要があるのかを尋ねた。
しかし、受付のスタッフは、「そんなことはお教えできませんね。知的障害なんでしょ? なんで、それを早く言ってくれなかったのかなぁ~ 忙しいんだよね~」とタメ口(ためぐち)で面倒くさそうに、木で鼻をくくったように言った。
そして、「知的障害なんだったら、精神科でもいいんじゃないですか? ここは内科ですよ~ 精神科に行った方がいいんじゃないかな~」と言った。
その瞬間、私はキレた

私はまず、キレることはない。
少なくとも、ここ15年はキレていない。
若い頃は瞬間湯沸かし器で、夫とどちらが湯が沸くのが速いか、というレベルだった。が、そんな私もトシを取り、人を教える仕事をしていたり、それに加えて重度の認知症の父の相手や知的障害のある義弟の世話をしていく過程で、「怒る」「キレる」ということは、ほとんどなくなってしまった。
しかし、さすがにこの時はキレた。
私は怒っている時に限って、ものすごく丁寧な言葉遣いになる。キレていればキレているほど、丁寧になる。丁寧語を通り越して、謙譲語まで使う。
「いえいえ・・・ここへは、呼吸器内科から紹介状をいただいて受診に参ったのです。知的障害とは関係のない症状で伺っております。そして最初にこの受付でも、本人に知的障害があることは口頭で申し上げていますし、問診票の特記欄にも知的障害があることと飲んでいる薬について記載させていただいております。受付では○○さんがその問診票をご覧になった上で、知的障害があるのですね、とおっしゃってました。メディカルチェックをしてくださったのは××さんという看護師さんで、知的障害があることと、どのような症状があるのかということと、じっとしていられる時間が短いのでご高配を願いたいということも伝えてあります。」
と言った。とりあえず、タメ口受付嬢の投げつけた言葉に対する返答をした。そして今の状況を説明した。
「幼少期にひきつけを何度も起こし、今でも強烈な顔面チックになった後には、かなりの頻度でひきつけを起こします。その場合は普通は救急車を呼ぶことになるのですが、ここは病院なので、当然、それには対応していただけるのですよね? ベッドをご用意いただけるのですよね? ひきつけの件も××さんには勿論伝えてありますし、3時間以上経過していて、そういう危険性をはらんでいることも病院側はじゅうぶんに把握していらっしゃるのですから、ひきつけを起こしても対応します、というのを病院の姿勢と考えてよろしいのでしょうね?」
とたたみかけた。口調はあくまで丁寧に、ゆっくりと。そして、滑舌はっきりと。表情は勿論、軽い笑顔(!)である。
・・・私は怒っている時ほど、冷静なのだ。

ここでようやく、タメ口受付嬢は、
「ちょ・・・ちょっと、お待ちください」
と言った。そして、奥の事務所に何やら聞きに行くようで、私に背を向けた。
その背中に向かって、
「あ、お忙しいのでしたら、慌てて対応いただかなくてもいいですよ。順番も教えていただけないとおっしゃってましたよね? こちらは、ひきつけを起こした時にきちんとベッドをご用意いただければよいのです。規則をあえて曲げてまで、そしてあなたの忙しさを倍加させてまで、お願いできるものとは思っていませんから。近々、ひきつけを起こしそうだ、ということだけご承知置きくださいね。」
と言った。
すると、他の作業をしながら、その話を聞くともなしに聞いていたらしきベテランのようなスタッフが青くなって慌てて言った。
「大変失礼しました。申し訳ありません。あと何人の患者さんなのか、すぐにお調べいたします!」
「いえいえ・・・『申し訳ない』などということはありませんよ。ああ、こういうご姿勢の病院とスタッフなのだな、こういう話し方や対応をスタンダードとしている病院なのだな、ということがわかっただけですから。知的障害者は、精神科以外のどの病院へ行っても多かれ少なかれ、何らかの差別はされますし、侮蔑な意図を感じることも少なくないですから、私は慣れています。」
・・・ものすご~く、私の頭の中は冷めていた。

「いえ、こちらのスタッフに大変にご無礼な発言がありまして、申し訳なかったです。」
そのベテランのようなスタッフは平謝りされた。選挙の立候補者がする、「90度おじぎ」だった。
ここいらが、振り上げた拳の下ろしどころだ。
「では、ご厚意に甘える、ということで、あと何人の患者さんを待つ必要があるのか、ひきつけを起こした場合のベッドの用意の可否、その場合にこちらの病院内の精神科での対応の可否について、お教えいただきたいのですが。」
と言った。
「すぐにお知らせいたしますので、待合室でお待ちいただけませんか」
とベテランスタッフは言った。
お願いします、と丁寧にしっかりと頭を下げ、私は待合室に戻った。
義弟は、強烈な顔面チックになっていて、身体も小刻みに震えていた。そして低い小さな声でハミングしながら、エアーギターをしていた。(ちなみに、彼は本当にギターが弾ける)
私が再び彼の横に腰を下ろしても、それには気がついていないようだった。すべての周囲の状況を遮断し、自分だけの世界にいるようだった。もう少ししたら、こちらの世界に呼び戻してあげないと、いけない。他の患者さん達にうるさいと思われても、彼に話しかけて、少し会話して、こちらの世界に戻さないと、ひきつけを起こすのだ。義弟の場合はこの、「押したり引いたり」が必要なのだ。そっとしておく時間も与えなければならないが、他とのコミュニケーション活動時間も必要になる。

この時点で、9時9分に受付を済ませてから既に3時間30分以上が経過していた。
時刻は、12時45分になるところだった。

この続きは、また次回に! ←ひっぱるなぁ





咳の原因は ~その1~

私のことではない。
1ヶ月くらい前から、義弟が乾いた浅い咳をするようになった。
気にはしていたが、その咳の頻度は変わらず、本人も「つらくない」と言っていた。発熱するわけでもなく、毎日休まず、知的障害者作業所に通っていた。
それでも、咳はおさまらなかった。いつも咳をしているわけではないが、1時間に1度くらい、その咳を連発する・・・という感じだった。
ひどくなってくるようだったらお医者さんへ連れて行かなければ・・・と思っていた矢先、作業所のスタッフから連絡があった。先週の金曜日のことである。

金曜日のレッスンが終わったところに、作業所のスタッフから電話がかかってきた。
その日、作業所では健康診断が行われていた。
義弟は自治体で実施する特定健康診断を受診済みだったが、それにはレントゲン検査がなかったので、作業所の健康診断もやってもらうことにしていた。
作業所のスタッフが言うには・・・
肺に影がある
とのことだった。
レントゲン写真の肺は真っ白になっている、とのことだった。
「専門医の診断を受けていただきたいのですが・・・」
とおっしゃった。
本人の様子を尋ねると、「肺が白く写ってる」という医師の言葉を聞いた瞬間から、超重傷モードになってしまい、今まではたまにしかしていなかった咳を連発し、不安げにしているとのことだった。

知的障害者にもいろいろな症状があると思うのだが、義弟の場合は中度障害で、意思の疎通はできるし、会話も普通に楽しめる。冗談も言うし、道にも迷わない。買い物もできるし、簡単な料理はできる。(味のホドはわからんが)
ただ、「意思の疎通ができる」というのは、世話をする立場からすると、助かることが多いのだが、やっかいなこともある。
中途半端に人の話が理解できるだけに、必要以上に心配になったり、極度な不安に襲われることが多いのだ。
まさしく、この健康診断の医師の話がそうだったらしい。
医師に、「肺が白く写ってる」と聞いた瞬間から、義弟は、
僕は死んじゃうかもしれない
ものすごい重傷なんだ!
どうしよう・・・
怖いな・・・
そう言えば、両親とも癌だったし、僕も肺がんなんだ
いや、そうに違いない

・・・という論法により、極度な不安に襲われてしまったのだ。
医師も、彼が「意思の疎通ができる」とは思っていなかったようで、
「イカンですねぇ。これは専門医の受診に早めに行っていただかないと」
などと、不用意に、彼の不安をあおるような言い方をしてしまったらしい。
作業所のスタッフによると、義弟は不安のせいで震えている、情緒が不安定になっている、とのことだった。
そして、「僕は病気だから、もっと、かまって!」というサインで、意図的な(!)咳を連発しているとのことだった。

「あ~ わかりました。咳のことは私も把握していました。早速、対応します!」
と電話をくれた作業所のスタッフに答え、慌てて帰宅した。そう、その時はまだ、私はドゥ・ハワイ・カルチャースクールにいたのだ。
帰宅し、すぐにウェブサイトで、義弟の自宅近くにある呼吸器内科なるものを検索した。
思ったより、いくつかの医院が見つかった。
以前、耳鼻科を探した時は本当に大変だったのだが、呼吸器内科は市外であっても比較的近くにいくつかの医院を見つけることができた。
義弟の自宅からの距離と、評判の良さそうな・・・というのを考え、ある医院へ電話してみた。
しかし、診療時間外だったためか、誰も出ない。
普通なら、「初診ですが」と言って、直接医院へ行けば良いようなものなのだが、知的障害者の場合はそれがなかなか難しい。診察を断る医院は、実は少なくないのだ。都市部ではそういうことは少ないと思うが、義弟の住む地域では、そういうことが頻繁にある。だから、予め電話をし、義弟の障害について詳しく説明してから・・・という手順を踏むことになる。

しかし、その時点で既に夕方4時。
その医院の夕方の診察は午後4時30分から7時だった。
夕方の時間帯だと、義弟の家までは我が家から1時間30分はかかる。午後4時に我が家を出発しても、義弟の家に着くのは午後5時30分。そこからその医院までは30分近くかかる。(それでも、近い病院なのだ)
・・・今から行って、ようやく間に合う、という状態ではないか。
知的障害者を診てもらえるかどうかを尋ねてから自宅を出発していては、診察時間に間に合わないかもしれない。
・・・と考え、「予備の医院」の記録もメモし、とりあえず見切り発車で、我が家を出発した。

途中、コンビニで飲み物を買い、作業所のスタッフに電話し、今から病院へ連れて行くことと、レントゲン写真を本人に持たせて欲しいということを連絡した。目星を付けてあった医院へ電話すると、診察してくれるとのことだった。
義弟の家に着くと、義弟は外で待っていた。
ちょこっと斜めになって、不安そうに立っていた。超重傷モード全開である。向こう三軒両隣に聞こえそうな、積極的な咳を連発している。
義弟を車に乗せ、レントゲン写真と「通院セット」を持って、医院へ出かけた。
到着したのは、午後6時。初診であることを考えると、ギリギリだった。

診察室に入り、状況を説明した。
医師は丁寧に、幼少期のことや病歴について義弟に質問した。義弟は、自分で答えられる範囲で一生懸命に話した。・・・が、義弟の話は、途中で脇道に反れ、戻ってこれなくなる(!)という傾向が強いので、ほとんどの話を私が修正することになる。しかし、義弟は「自分で答えたい」という意思があるので、私は義弟の話に口を挟まず、義弟が話し終わったところで、まとめて修正・訂正する。自然、診療時間は長くなるのだが、医師はゆっくり丁寧に聞いてくれた。精神科医はそういう医師が多いように思うが、内科の専門医でこういう先生は珍しい。なかなか良い医院に出会えた。

医師はレントゲン写真をじっくりと見てくれた。
そしてすぐに血液検査をしてくれた。
医師の説明は丁寧だった。
「健康診断で他の種目に問題がなくて、レントゲン写真の肺が白い、というのは、結核とか肺炎である可能性は低いですねぇ」
「発熱がない、寝込むようなことがない、だるくない、などの症状や、本人の生活状況や病歴などから考えると、多分これは、生まれつきか、じん肺ですね」

生まれつき、肺が白い人は結構いるのだそうだ。
「とにかく、重篤な状況ではありません。今すぐ、どうこうということはありませんよ。」
と言われ、義弟の顔はみるみる明るくなった。
「ただ、なぜこんなに肺が白いのかは、本格的な検査をした方が良いです」と言われ、すぐに市民病院への紹介状を書いてもらうことにした。
血液検査の結果と紹介状を火曜日の朝一番で受け取り、それを持って市民病院へ行くこととなった。

「本当はねぇ、痰の検査をしたいですねぇ」
と医師は言った。
義弟の咳はかなり乾いたもので、痰が出ない。
「もし、痰が出たら、すぐにここへ持ってきてください」と言われ、痰の採集容器をもらった。
え??? すぐに持って行くの???
検査の内容からすれば、すぐに持って行くべき物であることは重々理解しているが、我が家から義弟の家までは1時間以上かかる。で、月曜日に痰が出ても、私はレッスンで一日中、ドゥ・ハワイ・カルチャースクールにいるのだ。レッスンが終わってすぐに義弟から痰を受け取って医院へ届けるとなると、痰が出てから少なくとも半日は経過することになる。

困ったな~と思いながら、医院を後にした。
義弟を車に乗せて、コンビニに寄った。義弟は私と夕飯を食べられるものだと思い込んでいたのだが、私は私で、用事を済ませて帰宅したらすぐに夕食の支度をする必要があった。義弟は夕飯用のお米を炊いていない、と言うので、コンビニに寄ってお弁当を買うことにした。
義弟は自分でコンビニのお弁当を買うという経験がほとんどないし、私もコンビニのお弁当を彼に食べさせたことはなかったので、義弟は物珍しさで喜んでいた。
あれこれ、お弁当を選んでいると、
「お姉さん、痰が出る!」
と叫んだ。
コンビニの店内で申し訳なかったが、この機会を逃すワケには、いかん。

ゲロゲロ~ ペ~
と、義弟は痰用容器に痰を吐き出した。
時計を見ると、午後7時にあと10分、ということろだった。
今なら、まだ、医院が開いてる!
慌ててお弁当を選ばせ、義弟を引きずるように(義弟はコンビニへの未練があった)車に乗せ、医院へ戻った。
「痰が出ました!」
と受付に走り込んだ。
「良かったですね~」と看護師さんに言われた。
本当に、そうだ。
この日に痰が出なかったら、私は月曜日のレッスンを終えた後、「炎の痰リレー」をするところだった。
いやはや、一安心である。

無事、義弟を家に送り届け、私は帰宅した。
既に午後9時に近かった。
どば~っと疲れ、食欲もない。(が、食べた)
母が、私の帰宅が遅くなることを見越して、夕食の支度をしておいてくれたのだ。
ああ・・・ 母というのは、実にありがたい。
こういうことがあると、母親のありがたみをヒシヒシと感じる。男親だったら、絶対にこうはいかないだろう。

怒濤の通院を経て、火曜日(昨日)は、市民病院への通院だ。
これがまた、ものすごく大変だったのだ。今日も私はその余波で、ぐったりしている。仕事がオフだからいいようなものの、今日は一日中ベッドに入っていたくなるような状態だ。と言いつつ、夏布団の洗濯をしているのだが。
市民病院の診察状況はまた後日!
医療機関に関わる人に、少しでも知的障害者の通院の難しさを理解してもらえるといいなぁ。




posted by プアアカハイ at 10:09愛知 ☁Comment(0)日記

自覚

我が家では「敬老の日」を特別に祝わなかった。
元々、そういう習慣が我が家にはないのだ。
同居していなければ、何か考えると思うのだが、一緒に暮らしていると、結局は「いつもどおり」になってしまう。
特別なお祝いをしないのには、実はもう一つの理由がある。

つい10日ほど前のことだ。
母が、
「ねぇ小百合ちゃん、私って、どういう年寄りになるんだろうねぇ」
とのたまった。
いやいや、ちょっと待て。
見た目はかなり若いが、あなたは立派な(!)73歳である。
一般的に言えば、じゅうぶんに高齢者である。(役所の言う「高齢者」は65歳以上)
要するに、母には「高齢者としての自覚」が全くないのだ。

母は、自分と同い年くらいの(70歳以上)女性を、「おばあちゃん」と称する。
→ だが、自分のことは「おばあちゃん」だとは思っていない。
母は、地下鉄の優先席にちゃんと座る。
→ だが、自分のことは「高齢者」だとは思っていない。
母は、「最近、あんまり食べられないんだよね~」と言う。
→ だが、スイカを一度に半玉、食べる。
・・・どうやら母の心の中では、「高齢者」と「まだまだ若い」の間を行ったり来たりしているようだ。

ドゥ・ハワイ・カルチャースクールの生徒さんはよくご存知だが、確かに、母の見た目は若い。
私と出かけていて、「ご姉妹ですか?」と言われると小躍りする。(娘としては、若干、複雑。第一、全然似ていない。)
地下鉄の自動改札を通った後、駅員さんに、「本当に敬老カードですか?」と言われると、これも小躍りする。
見た目が若いと、心も若いんだろうか。それはそうなんだろうが、心は若くても、肉体は確実に加齢してる。
心と身体が合っていないのだろうか。
喩えそうだとしても、とりあえず、「高齢者としての自覚」を持ち、日々、気をつけてもらいたい。
何かあった後では、遅すぎる。

帰宅した夫に、「私はどんな年寄りになるんかねぇ」のくだりを話した。
夫はしばらく笑った後、「まぁ、それだけ、元気ってことだな」と言った。
まぁ、そうなんだろう。
そう言えば昔、「老後のために」と言って脱税した女性の有名人がいたなぁ。その方は既に80歳近かった。彼女も、「今が老後」とは思っていなかったのだろう。

心が若いことは良いことだ。
だけど、その中に、ちょこっとだけでも、「高齢者としての自覚」を持っていただきたい、と娘としては思う。
無理をしてはイカンのだ。
自転車で道に迷ったら、2時間以上も走り回らずに、目的地へ行くのを諦めていただきたいのだ。
庭に落ちた隣家のトタン屋根を撤去するなどの重労働を控えていただきたいのだ。
父とは全然違う意味で、母は母で、心配な人である。


posted by プアアカハイ at 09:58愛知 ☁Comment(0)日記

台風の余波

台風が過ぎ去り、今日の名古屋はとても暑い。
朝っぱらから、シーツやら何やらたくさんの洗濯物を干した。
晴天とはありがたいものだ。

九州や北海道では大雨による被害が大きかったと報道されていた。
我が家は坂道の途中にあるので、大雨には強い。流れてきた雨水は全部、坂の下へ向かって流れていくので、水に浸かるということはない。
今回も水の被害は何もなかった。停電もなかった。
だが。
隣家の被害の片鱗が我が家にふりかかってきた。

隣家は鉄筋の4階建て。
台風なんぞにはビクともしない構造である。木造の我が家の方が、よっぽど危ないのだ。ヤバいのだ。
しかし、隣家と我が家の一番の違いは、「手入れの違い」である。
我が家では、金曜日から(!)臨戦態勢
レッスンを終えて帰宅すると、庭の南端にある石垣によじ登り、石垣の上に群生していたセイタカアワダチソウを全部引き抜いた。・・・ようやく、かねてからの懸案事項が解決された。

このセイタカアワダチソウの生えている土地は我が家の土地ではない。しかし、セイタカアワダチソウは1メートルを超える高さまで成長しており、我が家の庭に向かって垂れ下がってきていた。もうすぐ、花が咲きそうだった。我が家にはゼンソク持ちの母がいる。これは台風の前になんとかしておきたかった。
垂れ下がってきているのは、我が家の庭の空中だけではなかったのだ。
我が家の物置小屋の樋の上に4~5本倒れている。これでは樋がつまってしまう。
ちなみにその土地の持ち主は、マンションなのだが、管理会社に連絡しても梨の礫。やってくれるのを待っていては、台風が来てしまう。
本来ならこのセイタカアワダチソウは、そのマンションの土地の持ち主の「財物」になる。勝手に他人である私が処分してはいけない。・・・ことは、重々理解している。
しかし。
それによる被害が甚大なのだ。(ぜんそく・樋の詰まり)
後で連絡しとけばいいか・・・という判断で撤去した。
ついでに庭の敷地内の雑草をキレイに取り除き、レンガの上に置いてある鉢も全部降ろした。
玄関横のハンギングバスケット5個も降ろした。
ベランダの物干し竿も全部降ろした。
屋外にある箒などの「ぶらさげてある物」をキチンと始末した。
買い出しも完了した。2週間は籠城できる。
準備は万端だ。
さぁ、いつでも来い、台風よ。

・・・という臨戦態勢で迎えた台風。
名古屋市南部では倒木や停電などの被害があったようだが、我が家の辺りは何の問題もなかった。
・・・はずだった。
夜中、ちょうど台風が東海地方を通過している頃である。
バリバリバリ~!!! ベリベリ~! メキメキ~!

という、すごい音がした。
「すわ、我が家か?」と思ったが、まぁ、今更壊れてしまった物を確認したところで、仕方がない。もう壊れているのだから、どうしようもないのだ。朝に確認すればいいや~と思い、そのまま寝てしまった。

そして、明朝。
バリバリ~メキメキ~の正体を確かめようと、ベランダから庭を見た。
何もない。
多少のビニール片はあるものの、大きな物が飛んできた様子はなかった。
バリバリ~メキメキ~になりそうな、物置小屋の屋根や樋なども確認したが、何も壊れていなかった。
・・・我が家ではなさそうだ。
ついでにベランダから隣家を見た。
隣家はどんな大型の台風が来ようとも、竿を降ろすとか植木鉢を降ろすとかいう措置を講じているのを、私は見たことがない。隣家の4階のベランダを見ると、今回も竿は掛かったままだった。
そして、その物干し竿がベランダの側面に張ってあるポリカーボネート板(蛇腹状になったプラスチックの板)を貫通している・・・。
当然、バリバリに割れている。
割れているのは側面の板だけではなかった。
ベランダの屋根のポリカーボネート板もバリバリに割れて、かなりの面積の板がなくなっていた。
バリバリ~メキメキ~の正体は、この板だったようだ。

母に「隣のベランダの横板と屋根が壊れていたよ」と話すと、
「ああ、あれね。朝、庭の真ん中に大きな板が落ちてたよ」
と言った。
私が確認するよりも前に、母は発見していたようだ。
「で、その板はどうしたの?」
「隣の家の駐車場の入り口に入れておいた」
まぁ、それなら問題ない。

我が家では何も破壊されていなかったが、より「上空」になる隣家の4階のベランダは大きく壊れてしまった。
風のせいもあるだろうが、やはり、物干し竿を降ろしておかなかったのも関係しているように思う。
もし、あの物干し竿が、我が家の家に直撃していたら、と思うと、結構怖い。
くっつきあって建っている住宅地では、お互いに気をつけないとなぁ・・・と実感した。
今年は台風の当たり年だそうだが、こんなのが何回も来るのは勘弁してもらいたいなぁ。


posted by プアアカハイ at 12:29愛知 ☀Comment(0)日記

飲める水・飲めない水

東京都の一部で、下水処理水が配管接続の不備で水道水に混入したと報道されていた。
さぞかし、お困りになったろう、と思う。
日本の水道水は基本的に、普通に飲める。
美味しい地域もあれば、そうでない地域もあるだろうが、ちゃんとキレイな水が水道の蛇口からは出ている。
これは、本当にありがたいことだ。
世界には、水道水が飲めない地域がたくさんある。

ハワイではどうか、というと、基本的には水道水は飲める。
オアフ島の配管の古い都会のマンションは飲めない・或いは美味しくないかもしれないが、私が住んでいたハワイ島では水道水が飲めた。結構、美味しかった。何しろ、オゾン層の破壊されていない空から降った雨を、火山岩で自然濾過されて地下水になっていくのだ。美味しくないわけはない。ハワイ中で売られている「ハワイアン・ウォーター」とかいうミネラル・ウォーターは、ハワイ島産だ。
水道管の通っている地域では、水道水が普通に飲める。
そう、ハワイ島では水道管の通っていない場所もたくさんあるのだ。

日本に住んでいると、「水道管が通っていない」などと、信じられないかもしれない。
ハワイ島ヒロ側には、実は、そういう場所が少なくない。
理由は、キラウエア火山。
地面の下にマグマが流れている(!)ので、水道管を埋めることができない。
ちなみに、ガス管も通っていない。マグマから引火したら、エライことになるからだ。だから各家庭はオール電化か、プロパンガスである。

私が住んでいた家は父が建てたのだが、水道管が通った住宅街にあった。
しかし、そこから車で5分ほどの友人の家のある住宅街は水道管がなかった。
ほんのちょっとした違いである。
水道管の通っている場所は、当然だが、土地の値段が高い。そのかわり、1軒分の土地面積は小さいロットになっている。一方、水道管の通っていない地区は1軒分の土地面積は大きく、値段が安くなる。だいたい、値段も面積も、5倍くらい違う、と聞いたことがある。
そう言えば、私の住んでいた住宅街はロットがハーフ・エーカーだったが、その友人の家は5エーカーだった。見渡す限り原生林だったが、そこが全部、彼女の家の敷地なのだ。

水道管の通っていない家は、飲み水をどうしているのか?
基本的に飲み水は、買っている。
ペットボトルではない。
一斗缶くらいの容量のある、巨大なボトルが売られていて、それをひっくり返して設置する設備がある。コックをひねると水が出てくる。
一方、洗い水やお風呂は、キャッチメントの水を使っている。
キャッチメントとは・・・
本当の名前は何というのか知らないが、みんなその設備を「キャッチメント」と呼んでいた。
いろいろな大きさがあるらしいが、直径10メートルくらいの円形のプールのようなものが庭にある。それに雨水を貯める。そのプールの下は濾過施設になっていて、その水が家の中に入っている。だから、その家の水道の蛇口をひねると、そのキャッチメントの水が出てくる。なかなか、よく考えられた設備だ。
一度、新聞広告に、このキャッチメントの値段が載っていたのを見たが、結構なお値段だった。
高価な狭い土地で水道水を飲む生活をするのか、比較的安価な広大な土地で買った水を飲んで設備の高価なキャッチメントの水をシャワーに使うのか・・・ここが運命の分かれ道である。

キャッチメントの水は、飲めないわけではない。
歯を磨くのも、顔を洗うのも、レタスを洗うのも、キャッチメントの水でやっている。ごくごくとは飲めないかもしれないが、口に入っても大丈夫だ、と友人は言っていた。
確かに、彼女の家でサラダを何度か食べたが、その水が私の身体に入っても、何の変化もなかった。お腹も壊さなかったし、肌もぼろぼろにはならなかった。
香港なんかだと、歯を磨いただけで、口元の肌がぼろぼろになった。
ハワイの雨水はキレイなんだなぁ。

ハワイ島を車で走っていると、庭にキャッチメントのある家をたくさん見ることができる。
観光で訪れた人は、「アレは何?」と思うだろう。
キャッチメントのある場所は、水道管がない、と思っていただきたい。
そうやって見ると、かなりの地区に水道管がないことがわかる。
日本では水道管がくまなく通っている。
美味しいかどうかは別として、とりあえず、今回のような事故がない限り、水道水は飲める。
これって、本当にありがたいことだと思う。
日本に住んでいると、そのありがたさを忘れてしまう。当たり前、と思ってしまう。
でも、私たちが享受している「便利」は、当たり前ではない。
外国へ行くと、「日本の便利さ」を痛感する。
物価は高いし、土地は狭いけど、やはり便利なのだ。

私はハワイに住んでいた時は、「不便さ」を楽しんでいた。不満に思ったことはなかった。
「へぇ~ こんなに不便なんだ~」のような感じである。
そのかわり、その不便さを解消するための物を見ると、「なるほど~」と、その知恵に感心することも多い。
ハワイへご旅行に行かれたら、ぜひその「不便さ」を見つけていただきたい。
それもまた、ハワイの楽しさの一つだと思う。











posted by プアアカハイ at 07:23愛知 ☀Comment(0)日記