おかげさまで

結論から書こう。
父の新しい施設が決まった。
今朝、見学に行った医療系有料老人ホームが父を受け入れてくれることになった。
私と夫が安心のあまり、がく~んと脱力したのは言うまでもない。

その施設は名古屋ではない。お隣の市になるのだが、我が家からは車で30分くらいで行ける。夫の実家へ行く途中にもなるので、知的障がいのある義弟の住む夫の実家へ行く時にも寄ることができる。なんと好都合か。
周りには小学校と保育園があり、住宅と畑や田んぼが広がっている。背の高い建物も見当たらず、の~んびりした風景で、日当たりもすこぶる良好である。国道からかなり入っているので、ものすごく静かな環境だ。
・・・こんなとこに住んでいたら、ずっと昼寝をしてしまいそうである。

施設に着くと、施設長さんと介護士さんが迎えてくれた。
約束の時間よりもかなり早めだったのに、
「お待ちしておりましたよ!」
と言ってくださった。
・・・なんて感じが良いんだ。ここは良い施設に違いない、という期待も膨らんだ。
一通り施設内を案内してくださった後、面談になった。
あらかじめ昨日、電話で詳しく父の状態や問題点、困っていることなどを伝えておいたのだが、施設側は昨日の午後に早速、父の特定疾患である球脊髄性筋萎縮症について看護師やスタッフと話し合いを持ってくれていた。こういうところは、医療系ホームはやっぱり違うなぁ、と感じた。
そして、
「ご家族様のご意向にもよりますが、私どもはお受けしますよ」
と言ってくださった。
速攻で、
「お願いします!」
「ぜひ!!!」
と、私と夫が同時に叫んだ・・・。

今の父は、施設のケアマネージャーさんにお願いしているのだが、退所すると契約も切れる。
「ケアマネージャーさんを探さないといけないのですが・・・」
と言うと、
「看護師免許のあるケアマネージャーさんを探してありますよ。もし良ければ、すぐにでも手配しますよ。」
と言ってくださった。
まったく、何もかも、実に至れり尽くせりである。

そして最大の問題点は父の特定疾患(難病)認定の継続である。
今の父は医師の診察や検査が不可能な状態だ。意思が疎通できないので、検査ができない。だから、もう認定の更新はできないものと諦めていた。
施設側はその点も看護師と訪問医と話し合いをしてくれていて、
「専門医を手配するよう、手はずを整えています」
と言ってくださった。
ああ・・・なんてありがたい・・・。
特定疾患の継続ができなければ、この施設には入れないので、そこが一番心配だったのである。
しかし、それもなんとかなりそうだ。

施設長さんは、
「どの病院や施設でも受け入れ不可能な方に、なるべくご利用いただけるようにしたい」
とおっしゃっていた。
逆に言うと、あまり手のかからない方は入居できない、ということらしい。
「ええ! それなら、ウチの父にはぴったりですっ」
と叫びそうになった。言わなかったが。
確かに、人工肛門やストーマ、経管栄養、胃ろう、ALSなどの難病の方は、なかなか受け入れてくれる施設が少ない。見つからない。本当は、そういう方々こそ、自宅介護が不可能なのに。施設が必要なのに。

ありがた~い施設長さんの言葉で、がく~んと脱力し、ほっと胸をなでおろし、その施設を辞した。
そのまま父が入所している特別養護老人ホームへ行き、事情を話し、父の部屋の簡単な片付け作業をした。
入所する時は、
「コレがないと、困るんだ!」
口角泡を飛ばして要求したテレビと立派なテレビ台、加湿器を撤去した。
その他、入所して1年くらいは使っていた杖や傘立て(???)、王様のクッション(本当にこういう名前なのだ)、キッチンペーパーホルダー(オシャレだから買え、と言われた)、本、便せんやノート(どれも1ページ目だけが使われていた)、マッサージ棒(!)などなど、今の父には不要の品々を車に積み込んだ。
・・・ガラスの腰の夫も頑張ってくれた。

自宅に帰ってから、母と2人で、その不要の品々を整理したが、ほとんどが処分の対象になった。
中には、「何、コレ?」という物も少なくなく、5年もその施設でお世話になる間に、こんなに不要な品が増えるんだ~と実感した。
ここで言う不要の品々とは、
父にとっては不要だが、どこかの誰かは使ってくれそう
という物ではない。
世界中の誰もが使わないであろう品々
のことである。
例えば・・・
洋服ハンガーのフックのないやつ(どうやってそのハンガーをぶら下げるんだ???)
新聞紙を丸めてガムテープで巻いたやつ(何に使ったのか???)
電池を感知するバネのない置き時計(電池を替えてもダメ)
ガラスのない写真立て(なぜか裏側に写真を貼っている)
破れて、中身のビーズが飛び出したクッション(それをビニール袋に入れて使っている!当然、周囲はビーズだらけ)
汚物のついた座布団カバー2枚(!!!)
レンズのない眼鏡(レンズは行方不明)
・・・のような具合である。
もちろん、どれもこれも、元はちゃんとした物だった。認知症が進むにつれて、父はいろいろな物を破壊し始めた。そしてその破壊した物を処分しようとすると激高した。ちなみに眼鏡は3個破壊したし、置き時計は2個破壊している。

まだ新しい施設に入居する日程は決まっていない。
それまでに、あの父の魔窟をなんとかせねばならん。
魔窟の掃除は慣れているとはいえ・・・我が父が、認知症を所以とする破壊行動をした後始末をするというのは・・・心が痛む。
ああ、こんなこと、しちゃったんだな~
と思うと、情けなくもあり、悲しくもある。
重度認知症のご家族をお持ちの方はご理解されるだろう、と思う。

ホヌスキーさんをはじめ、皆さんにご心配いただきましたが、おかげさまで父の施設が決まりました。
元気づけてくださった皆さん、本当にありがとうございました。
心配してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
しょっちゅう、いろいろな神社やお寺を巡ってはアレコレ祈っているが、そこの神様・仏様、ありがとうございました。
皆さんへの感謝を胸に、明日からの魔窟清掃に尽力するぞ!

再び・・・父の施設探し

昨日の夜のことだ。
夫は送別会に出席していて不在で、母と私が夕食を食べ終わった時のこと。
電話が鳴ったので出ると・・・
父の施設の看護師さんからだった。
「今、意識不明で病院に救急車で運ばれました。国立病院の救急ですので、すぐに来てください。」
この、国立病院の救急というヤツは、私が去年、鍼灸の鍼が頭の中に残ってしまって慌てて駆け込んだ、あの病院だ。ここいらで一番大きい救急病院で、まずは患者を断らないことでも有名だ。我が家のすぐ近くにあり、歩いても15分くらいだ。

送別会中の夫と、仕事中の弟に連絡をし、慌てて夕食を片付け、とりあえず印鑑と現金を持って、母と車で病院に駆けつけた。
病院の前にはタクシーを飛ばして来た夫が既に到着していた。
救急待合室へ行くと、施設の看護師さんが私たちを待っていた。
どうやら、痰をうまく吐き出せず、のどに詰まって意識不明になったようだ。救急車の中で息を吹き返し、救急車内の医療器具のコードを引っ張って大暴れだったらしい・・・。
要するに、病院に到着した時にはとっくに意識を回復していたのだ。そして私たちが到着した時は処置室で痰を吸引され、点滴を受けていた。

しばらくすると、弟が仕事着のまま病院に到着した。
ことのアラマシを話しているうちに、父は施設に帰ることができるようだ、と医師が伝えに来た。
復活だ。入院もしないらしい。
それから30分くらいして、「帰っていいですよ」と言われた。
施設の看護師さんが、父が座れる状態なのを確認してくれたので、私が父と看護師さんを施設へ車で運ぶこととなった。
しかし、ここで問題が。
3ヶ月ほど前の、最後の通院の時、父を車に載せるのがものすごく大変だったことを思い出した。
その時はとにかく、夫と私で必死に乗せたのだった。
どうやって乗せるんだ・・・
夫は送別会を途中で抜けてきていて、アルコールが入っている。耳まで赤い。運転するのは私だから、夫にアルコールが入っていようがいまいが関係なさそうなのだが、元々お酒に弱い夫は、アルコールが入ると途端に力が入らなくなる。
・・・っていうか、夫はガラスの腰なのだ。無理は禁物だ。

ここで天の助けが!
そう、よく考えたら、弟がいたのである!!
彼は中距離トラックの運転手なのだが、剣道五段、握力は70キロを超える。(リンゴを素手で潰せる)
しかも、彼は介護の資格を持っていて、以前は介護施設で働いていた。
私が車寄せに車を停めると、弟と看護師さんはテキパキと父をあっさり車に乗せてしまった。
お見事・・・
というか、今までの私と夫の苦労はなんだったんだろう。もっとやり方を弟に習っておけばよかった。
弟は、
「施設に着いてからオヤジを降ろすのはまた大変だから、僕も施設まで一緒に行くよ」
と言ってくれ、私の車の後ろをついてきてくれた。
施設に着くと、弟は自分の車を停めてからすぐに駆け寄ってきて、また父をひょいっと車から降ろした。暴れてあちこちをつかもうとする父の手を、パシッパシッとキャッチしながら、うまく抱えて、さっさと車から降ろしてしまった。
う~ん、コレ、どうやるんだろう。今度、教えてもらわねば。

父を無事に施設へ送り込み、私と弟はそれぞれの車で我が家へ戻った。
母は、弟との会話を楽しんでいたが、私と夫は、これからの父の処遇を考えるとどよよ~んと気が重くなった。
施設の看護師さんからは、
「24時間看護師常駐の施設じゃないと、もう難しいです。」
とのお話があったのだ。
施設長さんも退去を促したいらしかった。

父は、ここ1ヶ月、痰をうまく吐き出せなくなっている。
父は球脊髄性筋萎縮症という特定疾患(難病)を持っているので、だんだん筋肉が失われていく。喉に何かが詰まるとか、咳払いができにくくなっていた。
・・・とはいえ、その筋萎縮症は進行がものすごく遅いので、実はまだ、痰を吐き出すことはできるのだ。力はあまり入らないのだが、痰を吐き出すことは可能なレベルだった。
じゃあ、なんで、痰が吐き出せないのか。
理由は一つ。
こちらの意思を、父が理解しないからだ。
「痰を吐き出して~」とか「咳払いして~」とか「エヘンって、やって~」と話しかけても、今の父は言葉を理解できないし、しゃべることもできない。何にも反応しない。だから、常に喉の辺りがゴロゴロ~と音を立てている。痰が絡んでいる音だ。父はその状態を、気持ち悪いとも、イカンことだとも、思っていない。だから、何を言われても、そのままにしてしまう。
日中は施設の看護師さんが痰を吸引してくれるのだが、とうとう、夜間も必要なレベルになった。
特別養護老人ホームには、日中は看護師さんが常駐しているが、夜間は介護士さんだけになる。その夜間に父は痰を喉に詰まらせて意識不明になったのであった。
確かに、そんな状態だと、24時間体制で看護師さんが常駐している施設じゃないと、無理だ。

弟が帰った後、私と夫は新たな施設探しをした。
それぞれのパソコンで、片っ端からピックアップし、入居条件に父が合うかどうか、吟味した。
・24時間看護師常駐
・重度認知症可
・機械入浴
・特定疾患可
が、絶対条件になる。
んでもって、なるだけリーズナブルな料金設定で、激遠ではない施設。
24時間看護師常駐というのは、特養ではあり得ない。医療系有料老人ホームになる。
そもそも、この医療系有料老人ホームというのは、数が少ない。豪華な有料老人ホームは結構あるのに、医療系は本当に少ないのだ。
意思の疎通ができないレベルの重度認知症となると、ほとんどの医療系はダメだし、ホスピス系は絶対にダメだ。受け入れてもらえない。
しかも、特定疾患にも対応してくれる施設となると、なんと!県内に10件もないのだ。
・・・どうすりゃいいんだ・・・
気がつくと午前2時。
「今やれることはすべてやったから、とりあえず寝よう!」
と夫が言い、ベッドに入るには入ったが、私は全然眠れなかった。

そして朝。
目星を付けた施設に片っ端から電話し、父の状況を伝えた。
1施設を除いて、軒並みダメだった。難病や機械入浴はクリアーできても、重度認知症がネックになっている。
でも、1施設は脈アリだ。幸運と思わねば。
その施設は特定疾患専用(?)のような医療系有料老人ホームで、特定疾患を持っていることが絶対条件だった。要介護も4以上じゃないとダメらしい。父は要介護4だ。
これは、イケる。
ただ、今は、父は特定疾患の認定を受けているが、意思の疎通ができないことから、すでに主治医の診察を受けることができず、今年秋にある認定の継続ができない状態だ。
それを相談すると、その施設に通っている医師が認定医で、「継続はたぶん可能だと思います」と言われた。可能ならば、入居できる。

明日、その施設に見学に行くことになった。
まだ新しい施設だが、電話の対応がとても親切でイイ感じだった。
その施設に入居できるといいなぁ・・・
というか、そこがダメだったら、どうすりゃいいんだ。
自宅に引き取るのか?
病院はダメ、他の有料老人ホームはダメ、となると、もう本当に自宅に引き取るしか、ない。
そして24時間体制の訪問看護師を依頼し、お風呂カーを依頼し、刻み食や嚥下食を作り、おしものお世話をする。
できるのか???
イヤ、無理だ。絶対に。
時間的にも体力的にも不可能だ。何しろ、私には知的障がいの義弟の世話もある。仕事もある。
う~ん、考えれば考えるほど、どよよ~んとしてくる。

とりあえず、明日の見学に賭けよう。
それでダメなら、また考えよう。
いやはや・・・
施設探しというのは、本当に大変だ。今、父がお世話になっている特別養護老人ホームを探す時も本当に大変だった。
今夜はよ~く寝て、明日に備えよう!






今日のお弁当

ドゥ・ハワイ・カルチャースクールの近くには、食べに行くところがない。
直近のコンビニまでは大きな坂を登って下って・・・の所にあり、歩くと往復30分(たぶん)はかかるだろう。
食べられる喫茶店までは日泰寺方面へ急な坂を登って・・・の所にあり、歩くと往復25分。
ファミレスは直近のコンビニよりももっと先にあるし、大きなお寺さんの近くにもかかわらず、うどん屋さんや丼屋さんも見当たらない。
以前はコンビニの配達弁当を他のスタッフと一緒に注文していたのだが、配達料がかかったり最低注文数が設定されることになったりで、今は注文していない。
要するに・・・昼食難民なのだ。

コンビニの配達弁当を取らなくなってから、私はお弁当を作っている。
どうせ、夫のお弁当を作っているので、手間は一緒だ。ちょっと量を増やせばいいだけなので、大して面倒はない。
私と夫のお弁当箱は全く同じ物の色違い。A4サイズの短い方の長さの正方形で、厚み3センチ。(内側は2センチちょい)
結構大きいくせに厚みがないので、慣れない頃はおかずの量や入れ方に苦労した。
私がお弁当袋を下げているのを生徒さんが見て、
「先生、大きい弁当箱ですね~」
と言った。確かに。外側は大きい。
しかしここで弁解(?)したいのは、お弁当箱に厚みがない、ということだ。そして私はご飯をあまり食べないので、白飯はうっすらと広げている。ご飯の量は少ないのだ!

先日、ある生徒さんが、
「先生のお弁当って、きっと美味しいんだろうねぇ~」
と言った。
私としては、自分で作って自分で食べているので、内容もわかっているし、味もわかっているので、
「わぁ~! これ、ものすごく美味しい!」
と感動することもない。
子供もいないので、イマドキは、他の人がどういうお弁当を持ってきているのかもわからない。
夫が退職前、同僚に、
「課長のお弁当って、大きいですねぇ~ オニのようにぎっしりですね~」
と言われたらしい。
そうなんだろうか。

今日の私のお弁当はこんな感じである。
DSC_0012[1].JPG

ご飯の右側にあるのは、春キャベツと人参と昆布の漬物。自分で漬けている。
左上のボールみたいなやつは、水抜きした豆腐とひじきとカニカマに片栗粉と塩コショウを混ぜて揚げたもの。つなぎにマヨネーズを使っている。
右上は、サヤエンドウ入りの卵焼き。
赤いやつは・・・淡路島産タマネギの水にさらしたスライスとトマトのざく切りをバルサミコ酢とオリーブオイルをベースに作ったドレッシングで和えてある。
・・・というラインナップである。

お弁当箱が薄いので、ぺらっこ~く並べるのが難しい。
作るよりもお弁当箱の中に詰める方が、手間がかかる時もある。
でも、お弁当を作るのは結構楽しい。「明日のお弁当は何にしようかな~」と考えるのは、楽しい。
子供がいないので、私はお弁当をずっと作ってきたワケではない。夫が昼食難民になり、続いて私も昼食難民になったので、作り始めた。前職時代も私だけはお弁当を作って持って行っていたが、そんなに長期間ではなかった。
しかし考えてみると・・・
子供に作るお弁当は、成長すれば作らなくてよくなる。せいぜい、高校生くらいまでだろう。
私の場合は、夫と私が働き続ける限り、お弁当を作り続けることになる。
・・・それって、まだまだ続くんじゃないだろうか。
少なくとも、10年以上。

いつかは面倒くさくなって、冷凍食品を使うことになるだろうが、できるうちは頑張ろう。
頑張ろう、とは言うが、大して頑張ってはいないのだが。家にある食材を適当に料理して詰め込んでいるだけなのだから。
それでも、「今日のは、美味しかったよ」と言われると嬉しいものだ。
「今日のは」というのが、かなり気になるところだが。(じゃあ、昨日のは美味しくなかったのか?とも思ったりする)

さて!
お弁当もできたことだし、出かける準備をしよう!

posted by プアアカハイ at 08:55愛知 Comment(0)日記

「さゆりちゃん」

今日は私の誕生日である。(左上プロフィール参照)
いつの間にか、51歳になっている。生まれてから半世紀が過ぎたわけだが、全然、自覚がない。
10年一昔、と言うけれど、50年にもなれば、かなりの大昔だ。だいたい、昔の人は「人生50年」なんて言ってた。
・・・もう、終わってるじゃないか・・・

51歳にもなると、いつしか、「お誕生日」は「誕生日」になり(「お」が抜ける)、「今日は誕生日だ~! イェ~イ!」から「ああ、誕生日かぁ」に変わる。
目出度くもあり、大して目出度くない日になる。
夫や母に祝われて、「う・・・うれしい・・・」と顔を引きつらせながら、「ハッピー・バースデイ」の歌をセルフで歌う。
ちなみに、セルフでこの歌を歌う時は、
「ハッピー・バースデイ・トゥ・ミー」
と歌っている。「ユー」ではないので、「ミー」になるのだ。
で、母と夫が、
「ディアー・さゆりちゃ~ん」
と歌う。

そう。
私は今でも家では
「さゆりちゃん」
なのである。
それこそ、昔の人ならとうに終わってる51歳にもなって、まだ「さゆりちゃん」なのだ。
これには理由がある。
他に呼び方がないのだ。
私と夫には子供もいなければ、孫もいない。
だから、「おかあさん」とか「○○ちゃんのおばちゃん」とか「おばあちゃん」などの呼び方は、されたことがない。
現在、世間的によく呼ばれるのは、
「加藤さんの娘さん」←父の施設で
「ふみ君のお義姉さん」←義弟の通う知的障害者訓練作業所で
「先生」←ドゥ・ハワイ・カルチャースクールで
である。
どれも、家族(夫と母)から呼ばれる呼び方に該当しない。適切でない。
前職時代は、
「加藤君(旧姓)」「小笠原君」←あまり親しくない上司か、雲の上の上司
「加藤さん(旧姓)」「小笠原さん」←一般的な上司・同僚
「さゆりちゃん」←とても親しい上司・同僚
「お~い! 娘!」←大変親しい上司
「さゆり先輩」「小笠原先輩」←一般的な後輩
「小笠原姉さん」「さゆり姉さん」←とても親しい後輩
という具合で、「さゆりちゃん」以外は、やはり家族の呼び方としては適切でない。
・・・という、他に呼び方がないから、という理由で、今でも私は家では「さゆりちゃん」なのだ。

昨日、夫が誕生日ケーキを買ってきてくれた。
2019誕生日.jpg

よくご覧ください。
ケーキの上の、ホワイトチョコレートのプレートには、ちゃ~んと、
「さゆりちゃん」
と書いてある。
書いてくれた店員さんは、絶対に、「お孫さん用だろうな~」と思ったに違いない・・・。

我が家では、私も夫を「みっちゃん」と呼んでいる。
夫も、私を呼び捨てにしたことは一度もない。いつも、「さゆりちゃん」と呼ぶ。
50代、60代にもなって、「ちゃん」付けで呼ぶのはおかしいかもしれないが(いや、絶対におかしい)、それ以外の呼び方がないから、仕方ないのである。
夫も、「おとうさん」でもなく「おじいちゃん」でもない。「パパ」なんて呼ぶと、まるで愛人(古っ)みたいだ。
だから、どうしても、「みっちゃん」と呼ぶことになる。
おかしいというのは重々承知しているのだが、仕方ないのである。

「さゆりちゃん」と書かれたホワイトチョコレートのプレートは特権で私が食べた。
来年も、ささやかに祝えるといいなぁ~

今年のバラ第一号!

連休とは言っても、案外忙しい。案外、というか、ものすごく忙しい。
遠足に出かけたのは29日だけ。
30日と1日はお天気も悪かったし、改元関連のテレビを見て終わってしまった。
2日と3日は夫の実家の竹を100本くらい切って草刈り。
足腰の立たない4日に、強引に衣替えを断行。
そして気がつけば、今日はもう5日なのだ。

朝から寝具替えをし、我が家の庭の整備に汗を流した。
冬に満開になったクレマチスの蔓を整理して短くし、ツルハナナスの蔓も短くカット。
冬に楽しませてくれたビオラの株を始末し、花壇の土を半分入れ替えて、殺虫剤とお礼肥を施して、新しい土を入れて耕した。
休む間もなく、ベッドのマットをレイコップして、夏向きの寝具に替えた。
・・・気がつけば、今日ももう、こんな時間である。
連休って、あっという間だなぁ。

我が家の玄関横のフェンスには、2本のつるバラを仕立ててある。
いずれも、鉢で育てている。
バラは手入れをしたのとしていないのでは、花付きが全く違う。
私は園芸にたっぷりした時間を割けないのだが、それでもバラはよく手入れしている方だと思う。
去年の12月、古くなった枝(4年くらい)を全部切り取った。つるバラは枝が古くなると花があまり付かない。だから、3~4年で枝を更新していく必要がある。年末の、大掃除が済むと、私は毎年つるバラの枝の更新作業をする。そして、その時期に枝を横に倒してフェンスに仕立てる。横へ横へと大きく倒せば倒すほど、花はたくさん付く。
去年は思い切って更新したので、今年の枝は少なめ。フェンスに伝わせている枝が例年よりも寂しい感じだ。

そして・・・
今年の第一号が今朝、開花した。
2019.5.5つるバラ.jpg

その上の方には、第二号が開きつつある。
2019.5.5つるバラ2 - コピー.jpg

この品種はトゲが少なくて柔らかい。だから人が通る玄関の横には適している。その代わり、香りがほとんどない。一応、「微香」ではあるが、ほとんど香りがない。だから、虫もつかない。というか、虫がつかないから、トゲも少ないのだが。
香りを摂るか、トゲがなくて虫が付かない方を摂るか。
なかなか難しい。

庭にはゴールデンボーダーという低木種のバラを1本だけ鉢で育てている。
これは去年の猛暑で死にかけ、2本の枝だけが生き残った。これも今年は枝が少ないので、花付きは良くないだろう。こちらはまだ、つぼみの状態。例年に比べると、「え?!」というくらい、つぼみも少ないが、一度死にかけたことを思えば、上出来だ。

庭の花壇は10日くらい休ませるつもりだ。
その後、土がふっくらしてきたら、夏の花苗を植えよう。
なにしろ、名古屋の夏は信じられないくらい、暑い。あの暑さに耐えうる品種でないと、何も育たない。・・・というか、みんな死んでしまう。
さて、今年は何を植えようか。
暑さに強い品種も次々と発売される。
じっくり、考えよう。

posted by プアアカハイ at 13:52愛知 ☁Comment(0)日記