ウイのワークショップ

土曜日、ウイワークショップを開催しました。
ドゥ・ハワイ・カルチャースクールには大勢の生徒さんがいるわけではないので、その事情もウイには説明したのだけれど、「少人数でも問題ないよ!」と快く講師をしてくれました。
ウイと私はメリーモナークに一緒に出場した仲です。彼女はその後、修行を積み、カヒキラウラニのアラカイ(指導者)になりました。
今はご主人様の仕事の都合で横須賀に住んでいて、今回のワークは家族旅行で名古屋・京都・大阪を訪れる途中で開催する運びとなったものです。

「絶対に難しくないよ!」
とウイは言っていたけれど、課題曲は結構、長め。
確かに、難しくはないけれど、フイが何度も出てくるから覚える振り付けは多くないのだけれど、全員がちゃんと覚えるのは大変でした。

私はいつも言うのだけれど・・・
ワークの真の目的は、決して、踊り(振り付け)を覚えることではない。
ハワイの本物のフラを間近に見て、感じて、一緒に踊ることで参考にできることを一つでも見つける、というのが目的だと思っている。
振り付けなんぞ、後からみんなで復習すれば、なんとかなるもんだ。

ウイの説明はわかりやすく、皆さん、ちゃんとマスターできました。
どこかのステージで、受講者みんなで踊れるといいなぁ。

ワークが終わって、記念撮影。
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私がウイと初めて会ったのは、彼女がまだ中学生の頃。
あれからもう、19年が経ってる。
彼女はますます、お母さんのロキシーに似てきたなぁ。
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また、来年、ウイのワークショップが開けたらいいなぁ。

ぎりぎり、セーフ!

日曜日のセントレアは朝から大雨だった。
台風はだいぶ南を走っていたのだが、人口島に建つセントレアは名古屋よりもずっとずっと雨がひどかった。
行きの名鉄特急電車ミュースカイはなぜか超満員。ぎりぎり座席指定が取れたが、車内では立って乗っている人も多かった。このミュースカイという電車は全車特別車なので、たとえ座席指定が取れなくても、特急料金が必要になる。
皆さん台風を心配してか、もっと遅い飛行機でも早めに空港へ、と考えたようだった。

そしてステージが始まった。
土曜日に比べて、ステージのスケジュールはぎっしりだった。
土曜日は、ステージとステージの間が5分~10分空くことがちょいちょいあった。また、30分の空きが2回あった。しかし、日曜日はそれが、ない。
ところが、ステージが始まってから、2教室が大雨警報のため出演をキャンセルされた。普通なら、その時間を「空き」にするのだが、警報が出ている状態なので、その「空き」の時間に繰り上げて出演してくださる教室があった。ご協力に心から感謝、である。
なんで警報が出ると慌てるのか。
それは、セントレアが人口島であるためだ。
セントレアは台風の時は、閉鎖されてしまうのである。
閉鎖されれば、当然、セントレアから出られなくなる。出演者も、出店者さんも、音響さんも、私たちも。
一晩、セントレアで籠城せねばならんのだ。
「このままでは、帰れなくなるかも・・・」という不安が頭に去来する。

・・・という不安をヨソに、ステージはどんどん遅れていった。
午前中の段階から少しずつ遅れていった。
そんな中でも、舞台の袖で、出演する生徒さん達に的確な指示をして、無駄な時間のないように、時間内に出演が終わるように最大の努力をしてくださる先生も何人かいらっしゃった。その先生方は、「こんな天気だから、少しでも巻いた方がいいよね?」「遅れを少しでも取り戻さなきゃ!」など、スムーズで円滑なステージにご協力くださった。
運営側からすると、こういったお心遣いは本当に嬉しい。
もちろん、直美先生と私も、お団子にした髪がめちゃめちゃに崩れるくらい(実際に崩れた)、出演者を並べたり、誘導したり、舞台裏の撤収が遅れているのを調整した。最後は絶叫状態だったと思う。スタッフは全員、トイレへ1度も行けなかった。
普通の天気なら、少々遅れてもどうにかできるのだが、今回は台風である。セントレアが閉鎖されそうなのである。

しかし、先生方が努力してくださったにも関わらず、最終的には30分以上の遅れが出た。
2教室がキャンセルしても、である。空き時間に出演を繰り上げてくださった教室があっても、である。
もっと円滑にできたんじゃないかな、もっとやれることがあったんじゃないかな・・・と、反省しきりである。

私が「先生」を始めた頃、14年くらい前は、いろいろな教室が一堂に会して次々とフラを発表する、というスタイルのイベントは名古屋ではほとんどなかった。
それが近年ではこういうイベントはかなり多い。コンサートの前座で踊るというイベントよりも格段に多くなっている。
そして、こういうイベントが始まった当初(12年くらい前)は、参加料もとても高かった。
相場は、1分で1万円だった。
そして、その「買った時間」よりも、少しでも遅れると、その分の料金をその場で(或いは後日)支払う、というのが普通だった。だから出演者は、「買った時間」にステージがおさまるよう、必死だった。
その頃からの習慣で、私は今でも、曲と曲の間は20秒入れた上で、「もらった時間」よりも3~4分は早く終わるようにプログラムを組む。
しかし時代の変遷とともに、「遅れたら追加料金」というステージはなくなった。
出演者側にいるときは、それはとても助かる。ものすごく慌てなくてよくなった。
しかし反対に、遅れても気にしない教室も増えてしまった。

以前、こんなことがあった。
デパートの催事ステージで、30分以上押した教室が出てきた。
デパートのステージは、閉店ぎりぎりまで組まれていることが多い。だから、30分も遅れてしまうと、その日の最後に出演する教室は、「閉店後」に(!)踊ることになってしまう。
怒った主催者は、遅れた段階で音響を切った。
・・・わからんでも、ない。

「ステージを時間内におさめない」というのは、地域性もあるかもしれない。
新潟でも同じようなイベントがあり、私もお手伝いしたことが何回かあるのだが、そのイベントでは1日に20教室以上が出演する。しかし、絶対に遅れない。日によっては、巻きで来ることもある。
本当にお見事なのだ。
そこへいくと、名古屋ではほとんどのステージイベントで遅れが出る。

このように、台風の襲来した日曜日は、ステージの遅れに本当に気をもんだのだが、午後5時前にすべての行事を終えることができた。
舞台裏の片付けをしていると、とんでもない情報が耳に入った。
「6時以降は電車が止まるらしいよ~」
えっっっ 出られなくなっちゃう!
それを聞いたスタッフが、
「先生、電車でしょ? 早く帰りなよ!」
と言ってくれた。そう、その日のスタッフで、車じゃないのは私だけだった。
出店者さんやスタッフさんに挨拶して、慌てて駅へ。
ぎりぎり、特急電車に走り込んだ。本当に、ぎりぎり走り込んだのである。

途中、電車は徐行運転になった。
電車から降りた時は、予定時間よりも5分遅れだった。
そして地下鉄に乗り換え、自宅の最寄り駅へ。
外に出ると猛烈な雨が降っていた。まさに、横殴りである。
まだ風がそれほど吹いていなかったのだが、雨の量が半端ではなかった。
自宅にたどり着くと、腰から下がずぶ濡れだった。もちろん、傘はさしていたが。
一番閉口したのが、靴。
歩くたびに、私の運動靴は、じゅっく、じゅっく、じゅっく、と音を立てた。
そして歩くたびに、運動靴の先っちょから水が噴き出した。
こういうことは中学生以来かもしれない。

帰宅した私に、母は「電車、止まったらしいよ」と言った。
本当に、ぎりぎりセーフ!だったのである。
出店者さん達は無事に空港島から出られたのだろうか・・・
ドゥのスタッフや音響さんはどうだったんだろう・・・
と心配になった。
夜、直美先生からもらった電話で、全員が無事に空港島から出られたことを知った。
一安心である。

台風の日のステージは、本当に大変なんだなぁと実感した。
出演者は大荷物を持っているし、その量によっては傘をさせない。
出店者さんは商品の搬出を急がねばならない。
スタッフはそれを手伝いつつ、使った楽屋やステージの復旧作業をし、空港島から脱出する。
本当に大変だ。
今回はぎりぎりセーフだったが、私自身ももっとできることを考えていかなくちゃなぁ、と思う。
これも「日々、修行!」である。

posted by プアアカハイ at 07:57愛知 ☀Comment(0)日記

アロハ・ハワイ・ネイ・フェスティバル in セントレア

10月21日、アロハ・ハワイ・ネイ・フェスティバル in セントレアに出演しました。
台風の影響で、当日は大変な空模様になりましたが、多くのお客様がご来場くださいました。
また、久しぶりにお会いできた方々もありました。1列目の客席で応援してくださったMさん、Kさん、ビデオ撮影のお手伝いをしてくださったYちゃん、Eちゃん、ありがとうございました!

それでは、ステージの模様をご紹介します。

1 ヘ・ウイ(上級クラス)
これは、実は私の得意なナンバーです。先代のクム、レイ・フォンセカの元でレッスンしている時に習ったもの。手のモーションも複雑、ステップも次々と変わる(レレウエヘ多用)という難しい振り付けですが、音源が恐ろしく早いものを使っています。その速さで複雑な振り付けを踊る、というとても難易度の高いものでしたが、上級クラスの皆さんは落ち着いて踊ってくれました。
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あれだけスピーディな曲で、これだけの人数がきちんと揃って踊れるのは奇跡に近い。
細かいところはまだ練習が必要ですが、とても良い出来でした。

2 リリウ・エ(初級クラス)
練習量の多くないクラスなので心配していましたが、本番は強いですねぇ。
遅れることなく、迷うことなく、上手く踊れていました。
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ちなみに真ん中で踊っているのは私。今回の出演者が2名だったので、応援のため、一緒に踊りました。
だいぶ、ステージにも慣れてきて、少しずつ進歩しています。もう少し、このクラスが盛況になるといいなぁ。

3 ピカケ・ラウナ・オレ
直美先生のソロ。8月末にクムが名古屋へいらっしゃった時にワークで習った曲。習ったばかりでのステージだったので、直美先生も緊張したことでしょう。
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優雅な曲で、凝った振り付けもたくさん盛り込まれているので、踊り込むと、もっともっと良くなるナンバーです。

4 カ・レフア・イ・ミリア(中級クラス)
大人数でのステージで、迫力がありました。かなりゆっくりな曲なので、リズムの取り方が難しいのですが、良く出来ていました。
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この振り付けは、「つなぎ」が非常に難しい。流れるように次のモーションへつなぎますが、その点は大変良く出来ていました。こういう優雅な曲は本当に難しいです。

5 ヘ・アロハ・ノー・カ・レフア
私のソロ。これも直美先生と同様、8月末にクムのワークで習った曲です。
いつものことなんだが・・・自分のステージの準備は一番最後になる。たぶん、他の先生方もそうだと思うけれど、自分の練習はなかなかできない。やっている時間がないのだ。だから、踊り込みが少ない。
いつも、「本番1回の集中」に頼っています。本当はそれじゃあ、イカンのだが。
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このポーズは、私は得意です。鳥のポーズの一つなのだけれど、角度の美しさを心がけています。クラスのレッスンで、このポーズが出てきた暁には、コツをお教えしますね!

6 ハワイアン・ララバイ(上級+直美先生&私)
前半は上級クラスだけで踊り、後半に講師が加わる・・・という演出でした。
この曲そのものは難しいものではないのですが、今回は「虹」の形に並ぶのが大変難しかったです。ステージ直近の2回のレッスンは、「ステージに登場して配置につく」の練習ばかりしていました。踊り本体の練習はほとんどしませんでした。それくらい、最初の配置が難しかったのです。
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踊り本体はもちろん素晴らしい出来だったのですが、特筆に値するのは、そこではない。
最初の配置。
これは本当に見事でした。誰も、迷いがない。スタスタ・・・ピタッという感じで、誰もちょろちょろ動いたり、目を泳がせて立ち位置の確認をする人はいなかった。本当に素晴らしい配置でした。お見事です!

私たちが出演している間はそれほど雨はひどくななかったのですが、帰り道はかなりの雨でした。
毎年、セントレアのイベントには出演させていただいているのですが、今回は、全館アナウンスが本当に多かったですね。
「○○航空 ××便で沖縄へご出発のお客様、天候により、遅れが出ています」
とか、
「○○航空 ××便・××便は天候の影響でこの空港に引き返します」
などのアナウンスがずっと流れていました。
今回、ドゥ・ハワイ・カルチャースクールはアウアナだけの構成だったので影響はありませんでしたが、教室によっては、カヒコでオリを唱えているのだけれど、その声がアナウンスにかき消されてしまい、ちょっとお気の毒に思いました。

私たちの出演日は台風の影響はそれほどなかったのですが、次の日曜日がすごかった~!
日曜日は私はMCスタッフだったのですが、あと一歩で帰れなくなるところでした。
その模様はまた後日!


おみゃ~ なんちゅ~だぁ

先日、夫と映画を見に行った。
封切り後から「行かなきゃ」と思っていたのだが、なんだかんだと忙しく、気がついたら封切りしてから1ヶ月以上経っていた。
イマドキの映画は、ロングランは珍しく、割とすぐに終わってしまう。見に行くタイミングを逃し、「見たかったのに!」と悔しがることも少なくない。

見た映画は、「関ヶ原」
キャストはなかなかの顔ぶれであった。(個人的には岡田准一!)
この時代の英傑は、多くがここらへん(愛知県)の出身だ。信長、秀吉、家康、利家、正則、清正、小六。
大河ドラマでいつも思うのだが・・・
ここらへん出身の英傑なのに、皆さん案外、標準語の台詞まわしだ。
強烈な名古屋弁の台詞がついているのは、秀吉ねねくらいなもんだ。
いつも2枚目俳優が演じる信長なんか、清洲の出なのだから(幼少期は名古屋市千種区末盛)、相当な尾張弁まじりの名古屋弁でなくてはならん。なのに、どの局のドラマでも、しぶ~く標準語をしゃべっている。アレは絶対におかしい。
利家も名古屋市中川区荒子の辺りの出だから、下町バージョンの名古屋弁でなくてはならん。正則だって、海部郡の出なのだから、尾張弁でなくてはならん。(尾張弁と名古屋弁は微妙に違う)
・・・なのに、いつも強烈な名古屋キャラクターを演じてくれるのは、秀吉とねねだけなのである。

その秀吉にしても、おかしな名古屋弁の台詞をしゃべらされていることが多い。
「そんな風には、言わんわ~」
と、私はいつも思っているのである。
元々の名古屋弁では、濁音の発音は鼻濁音である。舌のつけ根を酷使するような「がぎぐげご」はないのだ。
しかしドラマになると、途端に、とても汚い名古屋弁になる。
アレはなんでか。
たぶん・・・ここらへん出身の俳優さんじゃないから、ネイティブな発音はできないのではないだろうか。

そこへいくと、今回の映画「関ヶ原」では、とても忠実だった。
冒頭、秀吉がまだ若い頃、お寺で一服する場面がある。
そう、あの有名な、三成(佐吉)と出会う場面である。
当時、長浜城主だった秀吉が、お寺でお茶を所望する。お茶を運んできたのは幼き頃の三成。三成は、1杯目のお茶は一気飲みできるぬる~いお茶をお茶碗一杯にして出し、2杯目はもう少し熱いお茶を茶碗の半分にして出し、最後の3杯目はちんちんの(ものすごく熱い)お茶をお茶碗3割にして出した。
その知恵に感心した秀吉は、その男の子に尋ねる。
「おみゃ~ なんちゅ~だぁ」


秀吉を演じていたのは滝藤賢一さん。
そう、名古屋市出身の俳優さんだ。
私はドラマで滝藤さんが名古屋弁をしゃべっているのを聞いたことはなかった。
しかし・・・なんたる、見事な名古屋弁
発音、アクセント、微妙な鼻濁音、どれをとっても、まさにネイティブな名古屋弁だった。特に、語尾の「だぁ」の下げ具合なんぞ、絶妙である。
生粋の名古屋人の私としては、実に感涙ものであった。

映画の帰り道、夫と、その見事な名古屋弁について話した。
「いや~ 実に見事な名古屋弁だったねぇ」
「ああでなけな、イカンわなぁ」(ああでなくては、いけないよなぁ)
しかし・・・二人とも、同じ事を考えていた。
「だけどさぁ、あの台詞って、フツーの人は、わかるんだろうか?」
ここで言う、「フツーの人」というのは、標準語を話している人々のことである。
「ほりゃ~ わかるわさ~」(そりゃあ、わかるだろう)
・・・本当にわかるんだろうか。

「おみゃ~ なんちゅ~だぁ」
というのは、
「君の名前は何というのかい?」
のことである。
こういうことである。
君の名前は何というのかい? → おまえの名前は何ていうの? → おみゃ~は何ていうんだ? 
このような過程を経て、「おみゃ~ なんちゅ~だぁ」になるのである。
この言い方は、基本的には目下・年下の人に言う言い回しである。エライ人に、いくら名古屋人だからといっても、こういう言い方はしない。
親しい同輩・友人レベルだと、「おみゃ~」が「おみゃ~さん」になる。「おまえさん」ということだ。
民放ドラマで「おみやさん」というのがあり、渡瀬恒彦さんの主演だったが、私はよく混同していた。
おみゃ~さん、「おみやさん」まぁはい、見りゃ~たか
(おまえさん、「おみやさん」はもう、見られましたか?)
・・・ここまで来ると、早口言葉である。

私には東海地区の生徒さんしかいないので、
「おみゃ~ なんちゅ~だぁ」
の意味がわかるかどうか、尋ねられる人材がいない。
他の土地の人は、この言葉がわかるのだろうか。
聞いてみたいものである。

ドラマとか映画だと、より多くの視聴者が理解できるように、方言がマイルド化されている。
もちろん、それは結構なことなのだが、英傑達が名古屋弁で会話しているのを想像すると、なかなか面白い。
「おみゃ~ なんちゅ~だぁ」
「小六だがね」
「ほ~か、ほ~か。まぁ、おみゃ~さんもわしの家来(けりゃ~)になったでよぉ、きばったってちょ~よ」
とか、
「わしの草履がぬくなっとる。誰がやりゃ~たか。」
「そりゃ~、わしだでよぉ。」
「ほ~か、おみゃ~かぁ。よう勘考しとるがねぇ。えりゃあなぁ。わしの一番の家来(けりゃ~)にしたるでよぉ。」
・・・なんて具合になる。

ドラマや映画で方言を聞くと、いつも思う。
源頼朝と義経の対面のシーンだ。
あの二人は、本当に、言葉が通じたのだろうか???
頼朝は伊豆に流されて、その後、鎌倉へ。義経は奥州平泉からやってきて対面する。
関東の言葉と、東北の言葉で、ちゃんと通じたのだろうか。
その頼朝にしたって、元々はここらへん(愛知県)の出身だし、義経は幼少期は京都の鞍馬。
・・・大丈夫なんだろうか。
本当に言葉が通じて、感動の対面が果たせたのだろうか。

方言は本当に面白いと思う。
所謂、「中央」の映画やドラマで名古屋弁を聞くと、嬉しくなる。
あまり忠実すぎると、他の地域の人にはわかりにくいと思うが。
一度、「1本全部、名古屋弁」という映画を見てみたいものである。











posted by プアアカハイ at 16:19愛知 ☁Comment(0)日記

咳の原因は ~その3~

いやはや・・・私の人生において、「侮蔑」という単語を使ったのは、いったい何年ぶりだろうか。
冷静になればなるほど、静かに話せば話すほど、怒りはおさまるものの、事態は変わっていないことに気づかされる。

義弟はエアギターとハミングをしていたが、しばらくするとそれにも飽きてしまい、ぼんやりしていた。
本当に、もう限界は超えている。
そこへ件のベテランスタッフがやって来て、
「あと3人ほどお待ちください。また、精神科にも連絡を取りましたので、対応させていただいます。」
と言った。
これなら、もしもの時にも大丈夫だ。
私はそのスタッフにお礼を言い、義弟に話しかけた。
「もうあと、3人ぐらいだってさ。もうちょこっとだから、頑張ろうね。」
「うん」
そこからまた、私と義弟はあれこれ小声でおしゃべりをして時間を過ごした。

結局、診察に呼ばれたのは、午後1時30分過ぎ。
なんと! その待合室に案内されてから、4時間30分が経過していた!
診察はスムーズだった。
医師は丁寧に話を聞いてくださり、すぐに検査のオーダーを出してくれた。
「今からすぐに、CTと血液検査をしましょう。外部の検査機関でしかわからない項目もありますが、ほとんどはすぐにわかりますので、肺が白く写る原因はわかりますよ。」
とおっしゃった。

義弟と私は案内されたCT撮影室へ行った。
検査技師の方に、「知的障害があり、左耳が中度の難聴なので、ゆっくり話していただけませんか」
とお願いした。
義弟には、
「レントゲンみたいな写真を撮るんだよ。もっと詳しくわかるからね。痛くないからね。」
と説明した。
義弟は検査技師に伴われ、CT撮影室へ消えていった。
大丈夫なんだろうか・・・

そんな心配をヨソに、義弟は無事、CTを撮影した。
「上手にできてましたよ。」
と検査技師さんに褒められ、義弟はニコニコしていた。
続いて、血液採取室へ。
義弟は血液を採取される時、注射針が怖いようで、アサッテの方向を見ていた。
が、これもクリアー。
そして私たちはまた、例の待合室へ戻った。

それから待つこと、30分。
検査結果が出るのは案外早かった。
医師は、
「これはじん肺ですねぇ」
とおっしゃった。
じん肺については、間違っているかもしれないが、私の中の認識では、
粉塵や砂塵、いけない化学物質かなんかを吸い込みすぎて咳が出る病
だった。
「え? あの、粉塵なんかを吸い込むことによってなる病気ですか?」
「そうですね。」

医師の説明によると・・・
要するに、長年にわたって粉塵や埃を吸い込み、それが体内で蓄積されて、こういう症状が出るとのことだった。粉塵の量には個人差があり、「ものすごく吸い込んでいても大丈夫な人」と「ちょっとでもダメな人」があるらしい。
義弟はその昔、木工所で少しだけ働いたことがあったらしいが、その期間も短く、40年近くも前のことなので、直接的な原因とは言えないかもしれない、と医師は言った。
「あのですねぇ、大変失礼ですが、この患者さんは、清潔な環境で暮らしてこられましたか?」
と聞かれた。
「今は私と夫でしっかりとした清潔な状態で暮らせるように整備していますが、それはここ1年のことで、それ以前はそうではなかったようです。詳しくはわかりませんが・・・」
と答えた。すると義弟は、
「あの、あの、あの・・・、掃除機はかけてませんでした。荷物が一杯で、掃除機がわかりませんでした。今はわかるので、作業所が休みの日にたまに(掃除機を)かけてます。」
と言った。
医師はやさしく、そうですか、えらいですね、と言ってくださった。
そして私に、
「じん肺が出たのはたまたま今だった、ということなのです。これまでの間の長期間に体内にたまった粉塵や埃が関係しているのです。今がイカンということではないので、このままの環境を維持してください。」
と言われた。

これだけ明確に、「埃のせいです」と言われると、なるほどと思うと同時に、かなり恥ずかしくなった。
私が彼の部屋を汚したわけではないのだが、「部屋が汚いからです」と言われると、
アナタはダメな主婦です
と言われているように感じる。
私は彼とは一度も一緒には住んでいないのですが・・・と言うべきか?
いや、そんなことは医師には関係ないので、黙っておくべきか?
黙って、「ダメ主婦」と先生に思われたままにしておくべきか?
う~ん・・・と考えていると、義弟が、
「あの、あの、あの、汚かった時は、お姉さんとは住んでいません。一人暮らししてます。おにいちゃん(私の夫)とお姉さんにキレイにしてもらってから、ずっとキレイにしてます。」
と言った。
義弟は私をかばってくれたのだが(本人にそういう意識があるかどうか、わからんが)、これまでの経緯の説明が必要になってしまった。
医師は私の要約を聞き、
「うん、これはやっぱり、じん肺ですね。結核とか肺炎ではないので、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。」
とおっしゃった。

医師は2週間分の咳止め薬を処方してくれた。
会計手続きを済ませ、病院の向かいにある調剤薬局へ行った。
無事に薬をいただいて薬局を出ると、既に時刻は午後4時だった。
水分は取っていたが、何も食べずに、夕方を迎えてしまったのだ。
あと何人の診察を待つのかがわかったら、何か買いに行って、彼に食べさせることができたのに・・・
本当にかわいそうなことをしてしまった。

義弟と近くにあるファミリーレストランで「ものすごい遅い昼食」を取った。
義弟の咳はウイルスとは無関係なので、人様に感染させるものではないが、咳をしていると喉が荒れる。乾燥もする。自然、風邪も引きやすくなる。しっかりと栄養を取らせねば。
この日の通院は、非常食を持っていなかったので、大失敗だった。
義弟は「美味しいね」と何度も言い、一生懸命食べていた。
私は義弟に、医師の話をわかりやすく、かみ砕いて、じっくりと説明した。義弟は理解したようだった。
表情も明るくなり、例の「積極的な咳」はしていない。

それが、先週火曜日のことだった。
今日、義弟の様子を見に行った。
車で1時間30分近くかかる。もっと近かったら、もっと度々様子を見に行けるのだが。
義弟は咳をしていなかった。
咳止め薬がよく効いているようである。
重篤な状態ではないとわかり、本人も落ち着いていた。

来週、また市民病院へ連れて行く。
外部の検査機関に出している検査結果を教えていただくためである。
知的障害であることを医師が考慮してくださり、午後の1番最初の予約になっている。それなら、お昼ご飯を食べさせてから出かければよい。助かるなぁ。

知的障害のある家族を大病院に連れて行くというのは、なかなか大変なんだなぁ、と痛感した。
予想はしていたが。
認知症の父を連れて行くのもかなり大変なのだが、それとは違う「大変さ」が伴う。
私は人権論者でもないし、障害のある人の人権について声高に論ずる気もないのだが、差別されたり、必要以上に侮辱されると、ものすごく悲しくなる。
ショッピングセンターで知らない人から、「アンタの連れとる子は、『足らん子』かね!!」と罵声を浴びせられると、本当に悲しくなる。その人は、侮辱したつもりはないのかもしれないが、こんな鉄板な私でも、結構こたえる。
フードコートで食事をしていて、隣の席の年配の人が、義弟の目の前で両手をパチンと叩いて大きな音を立てて義弟をビックリさせようとからかったこともあった。その場で私はその年配者を諫めたが、後々になって、涙が出てきた。心ない人は、案外、いるのだ。
私は「障害者だから、かばってくださいね!」などと言うつもりもないし、特別な配慮をしてもらうのが当然、とも思っていない。
ただ、温かく見守ってもらえるといいなぁ、と思っている。
せめて、心ない言葉で不必要に傷つけたり、からかったりしないでほしいなぁ、と思うのだ。









 
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