日本の美

母のたっての希望で、今日は映画を見に出かけた。
映画は、「散り椿」。
そう、母の大好きな岡田准一と西島秀俊が出演している。
かく言う私も、時代劇は大好きだ。

昔はよく、時代劇のドラマもやっていたし、映画もたくさんあった。
しかし制作費がかかるのか、ここ数年は新作の時代劇ドラマはほとんどない。映画も少なくなった。
寂しい限りである。
それに伴ってか、殺陣の上手い俳優さんも少なくなった。
「どうにか、してくれ!」と叫びたくなる殺陣が多い。大御所が一人入っていると、なかなか見応えのある殺陣になるのだが、イマドキの若い俳優さんだけで、殺陣がへったくそ(たぶん、名古屋弁)なシーンを見せられると、本当にがっかりする。
若い俳優さんで、殺陣が上手いなぁと思うのは、山本耕史と岡田准一くらいだ。このお二人は剣先(けんせん)が生きている。
その岡田准一が出演している映画なので、私も二つ返事で母と見に行くことにした。

良い映画だった。
もちろん、期待していた殺陣は素晴らしかった。文句なし、だ。
岡田准一の身体はキレキレだったし、目線や背中からも感じる殺気や緊張も程よかった。
しかしそれを上回る良さがあった。
それは・・・
映像の美しさだ。
この映画はスタジオでの撮影は一切されていない。全部が、お寺とかお城などを使ったロケ映像だった。
日本の四季の自然の美しさ、芽吹く春、青々とした緑のまぶしい夏、涼をを感じる渓流、燃えるような紅葉、時折ドサッと落ちる枝の上の雪、稽古する二人に吹き付ける吹雪。日本の自然美のすべてが描かれていた。
縁側でお酒を飲みながら、主人公は庭を眺めているのだが、主人公でなくても、ずっと見ていたい自然の美しさだった。
そしてそれを引き立てているのが、自然光だった。
スタジオ特有の、カーッとしたライトではない、自然の光。
当然、室内の映像だと暗くなるのだが、それが気にならない。
確かに・・・お寺やお城の庭石が白いのは、日光をうまくそれに反射させて室内を照らすためだ。そういう場所で映画を撮影しているのだから、本当にリアルだった。
日本って、こんなに美しいんだなぁ・・・と実感した。

いつも時代劇の映画やドラマを見ると思うのだが・・・
時代劇は、俳優さんがあんまり大きくない方が、いい。
背の高い俳優さんだと、なんだか袴姿が似合わない。背が高い、というよりも、足の長いというのが、袴には無用だと思う。
腰の位置が高いと、袴姿がひょろひょろに見える。どっしり感がなくなる。
ついでに言うなら、それなりの肉付きでないと、着物の胸元が寂しい。薄い胸板だと、着物姿が美しくない。
だいたい、江戸時代の日本人男性の平均身長は、160センチに満たない。
その頃の衣装で、その頃の家屋で撮影するわけだから、小柄な人の方が、映像としてはしっくりする。
渡辺謙が「ラスト・サムライ」で袴をはいていた。彼は高身長だが、袴がとてもよく似合っていた。それなりの肉付きがあり、腰の位置が低めなせいだと思う。

これは私の個人的な意見なのだが・・・
日本人は今、「新型日本人」と「旧型日本人」に分かれていると思っている。
「旧型日本人」は、年齢だけで分けるなら、だいたい40代以上。「新型日本人」は、それ以降の年代。
高身長でも、やはり「旧型日本人」と「新型日本人」に分かれている。
私なんかは高身長だけど、やっぱり「旧型」なので、フツーの足の長さだ。たぶん、渡辺謙もそうなのだろう。
でも、私とほぼ同じくらいの身長でも、若い「新型」は、腰の位置が私よりずーっと高い。足が長い、というより、「胴が短い」のような印象だ。
岡田准一は身長も小柄だし、それなりの肉付きのある「旧型日本人」になる。
ところが彼の義弟の役をやった若い俳優さん(池松壮亮)は、身長は小柄ではあるものの「新型」なので、腰の位置が高く、袴姿がイマイチだ。
顔もあんまり小さいと、髷が似合わなくなる。
イマドキの俳優さんで、身長が小柄で、「旧型」体型で、顔が小さくない、なんて人は少ないような気がする。みんなスラッとしていて顔が小さく、胴が短い。
このままいくと、あと数十年で、袴の似合う俳優さんがいなくなってしまう!
これはゆゆしき問題だ!

殺陣をやるには、草履の裏やわずかに出た足の指先で地面を探る。
だから体勢が低くなる。(なんだかフラに似ている)
それを腰の位置の高い足長俳優ばっかでやるようになったら、どうなるんだろう。
殺陣も見応えがなくなっちゃうんじゃないか、と思ってしまう・・・。
なんだか、寂しい。

ともあれ、映画は本当に美しかった。
「まだ咲いて残っている椿があるから、安心して他の椿は散っていける」
というのは、なるほどなぁ・・・と。
日本人特有の考え方のような気がする。よく、わかる。
久しぶりに満足した映画だった。




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