指導者

ここ1ヶ月、夫の実家の片付け作業で、想像を超えた忙しさに見舞われている。
自宅でも座っている時間がほとんどない、というのに近い。
・・・が。
昨日の日大アメフト部の選手の会見は生放送で全部見た。
切ない、というか、なんとも言えない気持ちになった。
最初、この危険タックルが報道された時は、「なんつーことをするんだ!」と思った。この選手はどうかしてしまったのか?と思った。ネジとかタガが外れているとしか思えなかった。
その後、いろいろな報道がされ、何が事実なのか真実なのか、混沌とした状況になった。
今も、真実は藪の中、のような感じになっている。

私が個人的に気になるのは、「指導者たるもの」のことだ。
当初テレビで、「監督がカラスは白いと言ったら、白なんです!」という元選手の言葉に、解説コメンテーターが、「なんとバカなことを!」と怒っていらしたが・・・
これは体育会系ではないコメンテーターなのかもしれないな、と思った。
体育会系、とひとくくりにするのは乱暴かもしれないが、そもそも、師弟関係を結ぶスポーツ競技や芸術なんかは、こんな感じなのだ。

私の先代クム、レイ・フォンセカは、いわばカリスマだった。
彼の言うことは絶対、だった。
それに対して、私は何も疑問を持ったことはない。フラ・シスター達もみんな、そうだった。クムの言うとおりに踊れば上手くいく、と疑わなかった。
クム・レイが、「カラスは白い!」と言えば、白なのである。
これはフラだけではないと思う。楽器の師匠と弟子、華道や茶道の師匠と弟子、武道の師匠と弟子、スポーツの監督と選手にも、あることだと思う。
しかしそれには、「カラスが白い」に納得するだけの説明や理論、師匠と弟子の間の綿密なコミュニケーションが不可欠だろう、と思う。
クム・レイもクム・ナホクも、生徒達とはコミュニケーションをしっかり取っている(取っていた)。生徒の家族構成や仕事や環境などもすべて把握し、理解してくださっている。そして、できないことやわからないことについて、しっかりと説明してくれたり指導してくださる。こちらの心情をじゅうぶんにくみ取った上で、導いてくださる。
だから、「カラスは白い」と言われても、「はい、そのとおりです」と応えるのだ。

ただしこれは、ハワイでのことである。
昔からの武士精神・滅私奉公に慣れた日本人だと、精神論を振り回して、実に理不尽な指導をしている指導者も少なくないのかもしれない。
「やる気が見えない」とか、「相手のことを考えるな」とか、「おまえは優しすぎるからダメなんだ」なんて言葉を聞くと、ため息が出る。
日本独特なんだろうな、と思う。
だいたい・・・「やる気」なんてのは、元々、見えないものだ。なんでアンタに、本人の「やる気」の有無がわかるんだ、なんて思う。コミュニケーションが不十分なクセに、と思う。

私がフラを教えるようになった頃・・・
先代クムのレイ・フォンセカに言われたことがある。
「説明不足になるな」
ということだ。
言葉でも、見本でもいい。生徒にはよく納得されるまで、しっかり指導しなさい。身体を惜しんだり、言葉を惜しんだりしてはいけない、と。
本当にそうだ、と思う。クム・レイから見れば十分ではないかもしれないが、私はできる限り、そうしている。(つもり)

指導者って、難しい。大変だ、と思う。
わずかな受講者しか受け持っていない私なんかが言うのもおかしいけれど。
どんな競技でも芸術でも、良き指導者から学ぶというのは、とても重要だと思う。その後の競技人生や芸術活動にかなりの影響を及ぼすだろう。逆に、指導者に恵まれないというのは実に不幸だ、と思う。
だからこそ・・・指導者の責任は重いのだ。ものすごく、重い。
今回のアメフト騒動で、私はずいぶん、「指導者はどうあるべきか」を考えさせられた。
Me ka ha`aha`a
常に謙虚に、細かいことまで考え、間違いのないように、正しく。
フラの場合は、それに「楽しさ」のエッセンスを加えて。
さて、今日は大雨になるようだが、みよし市の市民講座がある。がんばろうっと!


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