自覚

我が家では「敬老の日」を特別に祝わなかった。
元々、そういう習慣が我が家にはないのだ。
同居していなければ、何か考えると思うのだが、一緒に暮らしていると、結局は「いつもどおり」になってしまう。
特別なお祝いをしないのには、実はもう一つの理由がある。

つい10日ほど前のことだ。
母が、
「ねぇ小百合ちゃん、私って、どういう年寄りになるんだろうねぇ」
とのたまった。
いやいや、ちょっと待て。
見た目はかなり若いが、あなたは立派な(!)73歳である。
一般的に言えば、じゅうぶんに高齢者である。(役所の言う「高齢者」は65歳以上)
要するに、母には「高齢者としての自覚」が全くないのだ。

母は、自分と同い年くらいの(70歳以上)女性を、「おばあちゃん」と称する。
→ だが、自分のことは「おばあちゃん」だとは思っていない。
母は、地下鉄の優先席にちゃんと座る。
→ だが、自分のことは「高齢者」だとは思っていない。
母は、「最近、あんまり食べられないんだよね~」と言う。
→ だが、スイカを一度に半玉、食べる。
・・・どうやら母の心の中では、「高齢者」と「まだまだ若い」の間を行ったり来たりしているようだ。

ドゥ・ハワイ・カルチャースクールの生徒さんはよくご存知だが、確かに、母の見た目は若い。
私と出かけていて、「ご姉妹ですか?」と言われると小躍りする。(娘としては、若干、複雑。第一、全然似ていない。)
地下鉄の自動改札を通った後、駅員さんに、「本当に敬老カードですか?」と言われると、これも小躍りする。
見た目が若いと、心も若いんだろうか。それはそうなんだろうが、心は若くても、肉体は確実に加齢してる。
心と身体が合っていないのだろうか。
喩えそうだとしても、とりあえず、「高齢者としての自覚」を持ち、日々、気をつけてもらいたい。
何かあった後では、遅すぎる。

帰宅した夫に、「私はどんな年寄りになるんかねぇ」のくだりを話した。
夫はしばらく笑った後、「まぁ、それだけ、元気ってことだな」と言った。
まぁ、そうなんだろう。
そう言えば昔、「老後のために」と言って脱税した女性の有名人がいたなぁ。その方は既に80歳近かった。彼女も、「今が老後」とは思っていなかったのだろう。

心が若いことは良いことだ。
だけど、その中に、ちょこっとだけでも、「高齢者としての自覚」を持っていただきたい、と娘としては思う。
無理をしてはイカンのだ。
自転車で道に迷ったら、2時間以上も走り回らずに、目的地へ行くのを諦めていただきたいのだ。
庭に落ちた隣家のトタン屋根を撤去するなどの重労働を控えていただきたいのだ。
父とは全然違う意味で、母は母で、心配な人である。


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