超高速「ん・ん・ん」

久しぶりのネタである。
父は筋萎縮症と認知症を患っており、3年ほど前から特別養護老人ホームで暮らしている。
今では、私のことも誰だかわかっていないことの方が多く、会話もほとんど不可能である。おシモもよろしくなく、いつ便が出たのかもわかっていない。入所したときはマダラな状態だったが(それはそれで、かなり大変だった)、今では別世界の住人になってしまっている。しかし、以前と違い、何のこだわりもなく、怒りスイッチも壊れてしまったようで、いつも機嫌が良い。穏やかに暮らしている。

先週の金曜日はそんな父の通院日だった。
レッスンを終え、父を施設まで迎えに行った。
父はもう会話ができないので、リビングルームで車椅子に乗って床を見つめていた。
「お父さん、今からお医者さんへ行くからね」
と声を掛けたが、やはり私が誰だかわかっていなかった。
「そうですか。先生、お願いします」
と言った。私のことを施設のスタッフだと思っているらしかった。

車にエンヤコラ~と乗せ(半分、私が父を持ち上げながら後部座席に座らせる)、出発。
車に乗り込むとすぐに父は、
「ん、ん、ん・・・」
超高速でつぶやき始めた。
1秒で約2回。
相当な超高速で、ず~っと「ん、ん、ん、ん、ん、ん、ん、ん・・・」と言い続けているのだ。
そのたびに、浅く息を吐き続けているわけだから、呼吸そのものがかなり浅い、ということになる。
過呼吸にならんのかしらん・・・
という私の心配をヨソに、父は1秒に2回くらいの割合で、ず~っと「ん、ん、ん、ん、ん、ん、ん」を言い続けている。

その超高速「ん、ん、ん」は、何かを私が話しかけると、止まる。
「お父さん、今日は暑かったねぇ」
「ああ、美味しかったなぁ」  何が???
という、全然会話にはなっていないのだが、超高速「ん・ん・ん」を続けていると医院に到着するまでに疲れ切ってしまう。何かを話しかけねば。しかし、これだけ会話が成り立たないと、どんな話題を振ったらよいのか、わからん。
すると、父から話しかけてきた。
「あそこにヒヨコがいるぞ。可愛いなぁ。」
は???
ヒヨコ???
そこは基幹バスの走る、かなり交通量の多い道路。ヒヨコなんぞ、いるわけがない。
しかし父は、レビー小体型認知症なので、幻視・幻聴・幻覚がある。そのせいかもしれない。
「そうだねぇ、可愛いねぇ」と適当に話を合わせ、道を急いだ。

すると、また父が変なことを言い出した。
「先生はよく道をしってますねぇ。運転が上手いですねぇ。だから生えてるんですね~」
は???
生えてるって、何が???
髪の毛?
とにかく、早く通院を済まさねば。私の脳細胞が攻撃を受けている。

父の筋萎縮症は、ゆるやかに進みつつも、深刻な状態ではない。
診察を受け、薬を処方してもらい、医院を後にして、近くのショッピングセンターで夕食を食べた。
父の食欲はかなりすごい。
その日も、カツ丼(かなりの大盛り)とうどんのセットを食べた。
ご飯の一粒も残さない、完食だ。
しかし父は少しずつ、痩せていっている。
食べた物はどこへ行っちゃっているのかしらん・・・
ちなみにご飯を食べている時は、それに集中しているせいか、超高速「ん・ん・ん」は、ない。診察を受けている時も、ない。手持ち無沙汰だと、「ん・ん・ん」を言いたくなるのかなぁ。
医院の看護師さんによると、
「今、どこにいるのか不安なのでつぶやくんですよ。貧乏揺すりみたいなものです。認知症が進むと、今自分がどこにいるのかを把握するのに時間がかかり、不安なんですよ」
とだそうだ。
なるほどなぁ。
食べている時は不安じゃあないんだなぁ。

父は元々、あまり食べ方のきれいな人ではなかったのだけれど、ここ2~3ヶ月は、本当に壮絶な食べ方をする。
私は箱ごとティッシュを持っていなければならない。
何しろ、汗とよだれと鼻水(with鼻くそ)がすごいのだ。
温かい物を食べれば汗が出るのはわかる(父は汗かき)が、よだれがダラダラ出るようになったのは、ここ2~3ヶ月だ。鼻水も、かむことができず、流れっぱなしになる。
確かに、「鼻水をかむ」という行為は、腹部にそれなりの力を入れ、大きく息を吸い込む必要がある。父はすでに腹筋がほとんどなく、超高速「ん・ん・ん」でもわかるように、大きく呼吸することができない。だから、父は鼻水がかめず、流れ出てくる鼻水を「拭く」のみである。すすることも、できない。
どういうわけか、ここ半年は、父はいつも鼻水(with鼻くそ)をたらしている。
父が食べている間は、父がごくんと飲み込むたびに、私は、その鼻水を拭き、よだれをぬぐい、汗を拭かねばならない。これは、実は結構大変なのだ。何しろ、自分は食べてはいられない。鼻水とよだれを拭くので精一杯だ。だから、父が食べ物を噛んでいる最中に、ばばば~と食べる。味もへったくれもない。まるで燃料の補給のようだ。

父は食べている間、それに集中していない。
あれこれ、私に話しかけようとするが、もう父は言葉がほとんど出てこないので、すべてが手話らしきものになる。
箸を振り回しながら、箸で何かを指したり、手でいろいろなジェスチャーをする。他人ならわからんかもしれんが、親子なので、一応、何が言いたいのかは大体わかる。大抵は、フードコートで食べている他の人々について言っている。
「あの店ははやっているなぁ」とか「あそこで食べている子供は可愛いなぁ」のようなことである。指で指したり、箸を振り回したりするので、これもなかなか制止するのが大変である。夜のフードコートはすいているので、今のところ問題にはならないが、それでも、何かの拍子にぶつけたりするかもしれない。
父のジェスチャーに適当な相づちを打ちながら、飲み込んだタイミングを見てよだれと鼻水を拭く。
・・・結構な重労働だ。
施設のスタッフの方々は毎日毎食、これをやってくださっているのだ。
本当に頭が下がる。

食事を終え、大量のティッシュを片付け、フードコートを後にして、父を車に乗せる。
父はもう、「ここで待っていてね」ができない。歩けないのに、車のスライドドアを自分で開けて降りようとしたり、車椅子専用駐車場のない所では店の玄関に車を横付けするのだが、待っていられず、私の後ろをついてこようとしたりする。以前、食べ終わった食器を返却口に私が運んでいる最中についてこようとして、あわや車椅子から落ちそうになったこともある。「待っててね」とどれだけ言っても、理解できないのだ。かなり危険である。
父の通院は相変わらず、私一人の「マンツーマン・ディフェンス」なのだが、かなりそれが難しくなってきている。
そろそろ、福祉タクシーを頼むか、付き添い看護師が必要になるかもしれない。
これだけ重度の認知症の人を通院させている他のご家族は、皆さん、どうやっていらっしゃるんだろう。
一度、施設に尋ねてみなければ。

施設への帰り道。
父はまた超高速「ん・ん・ん」を言い続けている。
認知症が進むと、こうなっちゃうんだなぁ・・・と実感した。
家族を忘れ、自分の生年月日を忘れ、言葉を忘れ、ひたすらに「ん・ん・ん」を言い続ける。
本当に、こうなっちゃうんだなぁ・・・と。
娘の立場としては、悲しいような、かわいそうなような、情けないような。
いろいろな感情が折り混ざる。
見守っていくしか、ない。治らないのだから。
わかってはいるが、これもなかなかツライものがある。
とにかく、父には穏やかに暮らしてもらいたい・・・と思っている。






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