調子っぱずれなお経ですが

5月24日に父が亡くなって、早いもので、今日で三七日(みなぬか)になる。
いやはや、あっという間であった。
父のお葬式がすんでからというもの、実は毎日、母と夫と3人でお経をあげている。
一日も欠かしていない。

私がお経を覚えたのは7歳の時。
祖父が亡くなり、毎日仕事から帰った父が仏壇でお経をあげていた。その横に座り、私も一緒にお経の本を開いて詠み始めたのだ。子供というのは何でもすぐに覚えられる。50歳を過ぎた現在とはエライ違いだ。まだ漢字もちゃんと読めないくせに、平仮名のよみがなをたどりながら、耳で聞いて覚えた、という感じだった。
子供の頃は正信偈(浄土真宗のお経・しょうしんげ)をソラで詠めたが、それもいつしか忘れてしまった。今はお経の本を見ながらじゃないと、詠めない。半分くらいしか、覚えていない。
夫も同じようなものだ。昔はソラで詠めたが、今はお経の本が必要。
夫の場合は、子供の頃に参加する子供会で、お寺でお経を習ったそうだ。ちなみに夫の家と私の実家は同じ浄土真宗大谷派なので、お経が同じだ。宗旨宗派が同じ、というのはなかなか便利が良い。しきたりもわかっているし、お寺とのお付き合いも困ることがない。
そしてそして、母の実家も同じ浄土真宗大谷派。母も新たなお経を覚える必要もなく、便利だった、と言っていた。

お経を覚えた環境は様々だが、とりあえず3人はお経が詠めるので、毎日、夕食後に中陰台の前でお経をあげている。
ところが・・・
私はソラで詠めないし、父の節回しでお経を覚えたので、音程が微妙である。
夫もソラで詠めないし、違う地区のお寺でお経を覚えたので、音程が微妙である。
母も音程が微妙である。
・・・という、
音程が微妙
な3人がお経を読むとどうなるか。
ド下手くそなコーラス隊のようになるのだ。

1人だけが音程が外れることもあるし、3人揃って路頭に迷ったような音程になる時もある。実に調子っぱずれなお経なのだ。
これが、なかなかオカシイ。
お経の最中にイカンのだが、つい笑ってしまうこともしばしばだ。
しかも、音程が外れているにもかかわらず、3人とも声が大きいので、自信満々に聞こえる。あたかも、
私(ワシ)の音程こそが正しい!
のような感じだ。

「まぁ、好きなように詠めばいいや~」
と言いながら、ド下手なコーラスを毎晩やっている。
たぶん、近所にも漏れ聞こえているだろう。
「あの家、息がちっとも合っとらん」と思われているに違いない。
でも、いいではないか。
下手くそでも、「毎日お経を詠む」の方が大事なんじゃないか、と思っている。
父も毎晩、仏壇の前で亡くなった祖父に詠んでいた。父は世にも恐ろしいレベルの音痴だったので、あの時のお経も音程が外れていたかもしれない。(そして私はそれを聞いてお経を覚えた)
それでも父はお構いなしに毎晩、詠んでいた。
それと一緒だ。

中陰台は七七日(しじゅうくにち)まで置く。
中陰台があるうちは、毎晩、お経を詠むつもりだ。調子っぱずれなコーラスで。
「私のお経が調子っぱずれなのは、お父さんのせいなんだから、我慢してね」と思いながら。
posted by プアアカハイ at 16:58愛知 ☀Comment(0)日記