母の冒険

月曜日のことである。
私はレッスンで家を留守にしていた。その間、母は出かけたのだった。
母は自宅から自転車で約20分の道のりにある、「浅間町」という所へ行くつもりだった。
我が家は名古屋城の東にある。そこから、西に向かい、名古屋城のお堀に沿って走り、名古屋能楽堂を過ぎれば、ほどなく「浅間町」の大きな交差点が見えてくる。
実に簡単な行程なのだ。

・・・しかし。
ご存知の方も多いと思うのだが、母は壊滅的な方向音痴である。
本当に、びっくりするほど、方向がわからない。
今まで、母の方向音痴を実感させられる事件は何度かあった。
デパートの中、ショッピングセンターの駐車場の中、旅行で泊まったホテル、京都駅。
以前、ハラウのメンバーと一緒にスパリゾートハワイアンズに出かけたが(私は仕事で不在)、そのホテルの中でも迷子になり、一緒に行ったメンバーに発見される・・・という事件が起きている。
ホテルでは、毎年、必ず迷子になる。特に、「本館」と「別館」が存在するホテルは要注意なのである。
初めて訪れた場所で迷子になるのは理解できるが、何度か行った場所でも、よく迷子になる。
栄地下街だけは迷子にならないのが不思議でしかたない。

方向音痴の人はたいてい、地図が読めない。どうやら、イメージというものができないようなのだ。地図を持って、北の方に地図を上に向けるなどの、「地図ひっくりかえし」をやる人はほとんどが方向音痴だ。これは前職時代に発見した法則だ。
ちなみに母も「地図ひっくりかえし」をやる。自分のいる位置で、見ている方向に合わせて地図をひっくりかえす。「いつも北を上に」という地図の置き方ができない。
まぁ、方向音痴は圧倒的に女性の方が多い。ドゥ・ハワイ・カルチャースクールにも数人、方向音痴の生徒さんは、いる。しかし母ほどの方向音痴は珍しい。

母は自転車に乗って、午前11時に出発した。
暑いさなかだ。
そして、走った。
しかし、目指す浅間町はどこまで走っても、見つからない。
あきらめるか・・・と思いきや、母はなかなか根性があるのだ。そんなことくらいではへこたれない。熱中症の危険のある時間帯なので、娘の私としては、へこたれていただきたいのだが。
そして走ること、なんと2時間!
浅間町にはとうとう行きつけなかったが、他の支店が北区黒川にあることを思いだし、またあちこち迷いながら何とかその黒川店に到着したのだった。

「今日さぁ・・・言うと叱られそうだけど・・・」
と、レッスンから帰宅した私に、母は告白した。
「私はね、浅間町に行きたかったんだけど、ないのよ、浅間町が」
・・・そんな訳、ない。町はなくならん。
よくよく聞いてみると、それはすごい冒険だったのだ。

ここからは、名古屋市北西部の地理に詳しい方でないと、わからないかもしれない。
母は、イチイチ、交差点名や建物などを覚えているわけではないので(覚えていられる人なら、道に迷わん)、半分は私の推理なのだが、母が所々覚えている主要交差点や看板、お店などの情報を集約すると・・・
母の冒険(私の推理)は次のとおりだ。
自宅 → 南に向かって、大津橋(既にこの段階で間違っている) → 西に向かって、明道町(ここで北に折れれば目的地に行けるのに・・・) → そのまま西に向かって、則武新町(看板から推測) → 新幹線の高架線路に沿って北へ向かい、栄生 → 更に新幹線の高架線路に沿って北へ向かい、名鉄病院を通り過ぎ、枇杷島橋(ここで庄内川の堤防を見て、ようやく道に迷っていることを自覚したらしい。ここで東に折れれば、いつかは浅間町へ行けるのに・・・) → 堤防から北東へ向かい、枇杷島二丁目から五丁目までの細い道をくねくねと迷いながら走り、康生通 → 国道22号線に沿って更に北進し、鳥見の高速出口 → ここで東に折れ、名塚中学校の通り過ぎ、庄内通3丁目(ここで南に折れれば、浅間町に行けるのに・・・) → 更に東に向かい、イオンタウン名西を通り過ぎ、香呑町 → 更に東に向かい、どこかで北に折れて、またもや庄内川の堤防に突き当たる → また東に向かい、川沿いに走り、ザ・シーン城北(有名な超高層マンション)を発見(ここで北区黒川にも支店があることを思い出す) → 更に東に向かい、国道41号線に出る → 南に折れて、20分走って黒川に到着
・・・という道のりだ。
所要2時間、というのも、うなずける。

「もう、さぁ、行けども行けども、浅間町に着かないのよ~」
と母。
そう、何度かチャンスはあった。浅間町に行けそうで行けてない。浅間町を見事に避けて通った感じだ。
帰宅した夫に話すと、
「う~ん、見事に浅間町を避けとるなぁ」
と言った。私もそう思う。
最後にはサドルに載せているお尻が痛くなってきたらしい。
飲み物を持っていたからいいようなものの、熱中症の一歩前の状態だった。
交番の前も通ったらしい(道のりから推測するに、西区の庄内交番)が、なんとな~く通り過ぎてしまったらしい。迷子としての自覚ができていないようだ。

目的地には行けなかったが、他の支店で用事は済ませることができたようだ。
しかし、迷子になっている。確実に。
母の場合は認知症でも何でもなく、ただの方向音痴なのだが、家族に徘徊する人を持っている人は大変だろうなぁ。
母の場合は、「ただ、道に迷っているだけ」なので、見覚えのある場所からならば、自宅へ帰ることができる。帰巣本能はちゃんとしている。

「見知らぬ場所へ行くなら、前日に言うように。わかりやす~い地図を書くからさ」
と私は言った。前職時代の経験で、私は地図を書くのが得意なのだ。
しかし、ふと思った。
私が書いた地図をちゃんと読めるだろうか・・・?
また、地図をひっくりかえしているうちに、わからなくなっちゃうんじゃないか・・・?
「・・・車に乗せていくから」
と付け加えた。
その方が安心だ。
母が一人で出かけると、心配だ。また道に迷ってはいないか、ちゃんと帰ってこられるか。
いやはや・・・父とは全く違う意味で、心配な人なのである。


   
posted by プアアカハイ at 17:26愛知 ☁Comment(0)日記

脱ぎ捨てられたパンツ

カヒキラウラニご一行様がお帰りになられて早1週間。
レッスンでは、
「楽しかったです」
「しっかり騒ぎました!」
「クムに会えて感激しました」
などなどの言葉をいただき、生徒さん達も楽しんでくださったことを実感している。

ディナーショーは大いに盛り上がった。
生徒さんの中には、「先生はいいですねぇ~ 舞台の袖で間近に見られて!」とおっしゃる方もあるのだが、実は私も直美先生も、ステージは一切見られていない。
これはいつものことだ。

イベントに出演された経験のある生徒さんはよくご存知だと思うが、舞台裏はいつも戦争なのである。
髪飾り・レイ・ピン・化粧道具を長机に並べる。水のペットボトル30本・タオル20枚・鏡・サーキュレーターもその長机に載っかっている。ぎっしりだ。
衣装はハンガーラックに、使う順番に並べる。女性のドレスは全部ファスナーを下ろしておく。
・・・という準備をしてから本番に入るのだが、いざ本番になると、水のペットボトルはあちこちに飛び、タオルは誰のものかがわからなくなり、衣装の順番も狂ってくる。
それを常に整然と保ちつつ、舞台裏を運営するのが私の役割だ。今回は直美ちゃんがいてくれたので、かなりスムーズだった。

こんな感じである。
踊り終わったオラパが舞台からハケる → 汗で貼り付いた衣装を脱がす・ボタンをはずす・ファスナーを下ろす・レイやクペエをはずす → 汗をバスタオルで拭く → 水を飲ませる → 水を飲んでいる間に次の衣装を着させる準備をする → 団扇で身体をあおる → 次の衣装を着させる・ファスナーを上げる・ボタンを留める → 額の汗を拭く → 化粧と髪飾りを直す → レイを後ろで結ぶ → オラパがまた舞台へ出ていく
・・・結構、大変なのだ。

とにかく、汗の量が半端ではない。
ベタベタ、というより、びしょびしょなのだ。
で、その脱ぎ捨てた衣装はまたハンガーに掛けて、撤収しやすくする。
レイや髪飾りも使い終わったら収納しやすく並べておく。
なんてことをやっていたら、1時間のショウはあっという間で、舞台を袖から見る・・・という暇は全然ないのだ。
もちろん、クムとの打ち合わせや、クムが突然マイクを所望することにも対応する。直美ちゃんはクムの足のコンディションも整える。
実はかなり忙しいのである。
こういう裏方ができて、ようやく一人前とハワイでは言われている。これも修行の一つなのだ。

まだ、カヒキラウラニは良い。
男の子も女の子も一緒に着替える。男女それぞれがそれぞれの楽屋を使う、というハラウだと、裏方は走り回ることになる。
カヒキラウラニでは、若い男女でも、みんな下着姿で平気で一緒に着替える。時には男の子が女の子のファスナーを上げることもあるし、女の子が男の子のカマーベルトを締めることもある。私もカヒコの衣装の最後の「一締め」は男の子にやってもらっていたし、スカートのギャザーのより方を均一にするため、男の子が女の子のスカートの中に手を入れる、ということも当たり前になっている。
ハラウは「家族」なので、全然恥ずかしくないのだ。私もそうだった。

そして・・・
脱ぎ捨てた男の子達のカヒコの衣装をハンガーに掛けていた時のことだ。
山に脱ぎ捨てた衣装の下の方から、パンツが出てきた。
ズボン、という意味のパンツではない。
下着のパンツだ。

男の子は、衣装の関係でパンツをはかないことは、しばしばある。
カヒコでマロ(ふんどしのような物)を着るときなどは、お尻が露出するので、パンツははかない。私も小学生の男の子にマロをはかせたことは何度かあるので、着せ方は知っている。そういう衣装の時は、若い男性はさすがに恥ずかしいのか、自分たちで着替えている。
しかし、今回のショウでは、男の子はマロではない。
普通のズボンと長袖のビクトリア・ブラウスだ。
つまり、パンツを脱ぐ理由がないのだ。

しかし、そこに鎮座しているのは、まぎれもなく、男性の下着のパンツだ。
ちなみに、白の、メッシュの、ボクサータイプのパンツだ。
パンツとしての役割しか果たせないようなパンツだ。女性のような、ガードルの代替えとか、下着写り防止の下着ではない。
もしかして、あのフツーのズボンの衣装の下に、パンツをはいていない、ということか???

踊り終わって、男の子達が舞台からハケてきた。
「ねぇ、このパンツどうするの? 次の衣装の時に、はく?」
と尋ねた。
もしパンツをはくなら、こんなオバサンでも、一応、よそを向いていてあげないと可愛そうだ。
後で、「アンティー・サユリ(さゆりおばちゃん)に見られた」などと言われたくない。言わないだろうが。
すると、
「はかな~い! 最後まで、はかな~い!」
あ、そう・・・はかないんですか。
なんとなく、心配になることはないんだろうか。開放感がありすぎる、というか、落ち着かないと思うのだが。

そして、熱狂の渦の中、ショウは終わった。
はたして・・・この中の何人が、彼らがパンツをはいていなかったと気づいていただろうか。

ショウが終わって、夕食の時にこっそり聞いてみた。
「ねぇ、マロならわかるけどさぁ、普通のズボンでもパンツはかないの?」
・・・オバサンになると、恥ずかしくもなく聞ける。
「はいてる人もいるけど、僕たちははかないよ。だって、動きが制限されるから。」
なるほど。
いや、待て。
ブラジャーならば、無尽蔵には伸びないので(無尽蔵に伸びたら、ブラジャーの意味がない)、動きが制限されることはある。だから、私も社会人剣道をやっていた時はブラジャーはつけなかった。そして、そういう人がほとんどだった。
しかし、コトは、パンツである。
パンツは伸びる。しかも、ハワイで売られている、よく伸びるメッシュタイプのボクサーパンツだ。これの、どこが、「動きが制限される」のか???

ついでに、クムにも聞いてみた。
クム曰く、「元々、パンツはハワイにはなかったから、はかずに踊るのが自然だ」とのこと。
こう言われると、実によくわかる。
実は、日本の武道でも、子供のうちはともかく、大人はほとんどパンツをはかないのだ。
柔道も、剣道も、空手も、合気道も、弓道も。
剣道の場合、女性はみんなパンツをはいていたが、柔道女子はパンツをはかない人がちらほらいた記憶がある。私の弟も剣道五段だが、彼は中学生くらいから、袴の下はパンツをはいていなかった。
元々、日本にもパンツなるものは、なかったからだ。女性は腰巻き、男性はふんどしだ。ちなみに私の祖母は死ぬまでパンツをはかず、腰巻きで生活していた。
その話をクムにかいつまんで話すと、「伝統文化では、元々の形でやるのが自然なんだろうね」と言われた。

だが、しかし。
私はやはりパンツを脱ぎ捨てる気にはなれない。
剣道の時も、パンツはいつもはいていた。はいていないと、落ち着かない。確かに弟は、「はかないと、動きやすいよ~」と言っていたが、私はイヤだった。
フラでは、特にイヤだ。
パンツもはかずにドレスを着るとか、パウをはくなど、考えられない。現代の日本人はみんなそうだと思う。
ちなみに、ハワイの女の子のオラパはパンツをはいている。
Tバックとボクサータイプが多かったように思う。

「パンツの謎」は解明された。
賛同・実践するかどうかは別として、「なるほどなぁ・・・」と思った。
次回、舞台裏のお手伝いの時は、脱ぎ捨てられたパンツを見てびっくりすることはないだろう。
気づかないフリもできそうだ。
これも伝統文化の原型なのだと、理解しよう!






posted by プアアカハイ at 21:24愛知 ☁Comment(0)日記

我が家のそうめん

カイオロヒアの皆様、コメントをありがとうございます!
こちらこそ、不手際も多かったと思いますが、みなさんのご協力で無事、全日程を終えることができました。
一緒にワークを受けて、フラシスターがたくさん来てくれているというのは、本当に心強いです。
そして、大師巻・・・。最高です!! 以前お取り寄せした時は2ヶ月待ちでした。幸せを噛みしめながら、いただいております。
ありがとうございました!

全日程が終わり、ものすごく疲れていたので、もっと長期間、身体が動かないと思っていたのですが・・・
案外、平気。
さすがにカヒキラウラニご一行様がお帰りになった翌日(水曜日)は、半日ほどグダグダしていたのだが、その後はなんてことなく、フツーに生きている。
フツーにレッスンし、フツーに料理し、フツーにお弁当を作っている。

昨日と今日の名古屋はものすごく暑かった。
昨日の午後4時過ぎにレッスンが終わってから車に乗り込むと、車外温度計はなんと40度だった!
これだけ暑いと、食欲がなくなる。一般的には。
実は私、そもそも夏バテした記憶がない。少なくとも、20年以上は夏バテしていない。だから、どんなに暑くても忙しくても、「食欲がなくなる」ということがないのだ。そういう経験は今までの人生の中で、ほとんどない。数えるほどだ。食べるということそのものが、私の健康の源なのだ。

とはいえ、それは私だけのこと。
母も夫も、結構小食だ。
母は年中、小食だが、夫は夏は本当に食べない。その一方で、私は年がら年中、大食漢だ。
そう、我が家の食事では、私を基準にしてはイカンのだ。
そこで、今夜は私の「会心の素麺」を作った。
こんな感じの素麺である。
そうめん.jpg


私は素麺を茹でて、つけ汁につけて食べるのがあまり好きではない。
こんな感じに、いろいろな具を載せて、薄味のだし汁をかけて食べるのが好きなのだ。
今夜の具は・・・
錦糸玉子、甘めに煮た椎茸、片栗粉で洗ってからお酒と水でさっと茹でた大きめのエビ、ごま油で揚げてからだし汁に一晩漬け込んだナスとシシトウとカボチャ。
こうして書いてみると、結構良いバランスだ。
具はぞれぞれに味が付けてあるので、ぶっかけただし汁は薄味。

母は当然ながら完食した。
夫はまだ帰宅していないので、どうかな・・・
夫はかなり好き嫌いが激しいので、毎日、食べるかどうかが心配なのだ。

暑いときはとかく、つるつるっとしたものが食べたくなる。
でも、それだとなかなか栄養が取りにくい。
いつもの素麺に飽きた方はぜひお試しください!
posted by プアアカハイ at 20:24愛知 ☁Comment(0)日記