ほこりのにほひ・・・

火曜日は、義弟の通院だった。
通院は毎月1度なのだが、今回はインフルエンザの予防接種もしてもらった。
義弟は身体が小さく、あまり丈夫でないので、予防接種には毎回、負ける。目が真っ赤になり、だるいようで動けなくなる。
今回もきっとそうだろう・・・と予測し、床屋さんと買い物を済ませて帰宅し、すぐに寝かせた。
そのすきに、私は大掃除をした。
義弟は、邪魔する気はないのだが、私の後ろにず~っとくっついているので、作業に没頭したい時は私一人で集中したいのだ。

夫の実家は知的障害のある義弟が一人で暮らしている。
10日から2週間に一度、私が1週間分のおかずを持って様子を見に行っては、掃除や洗濯、衣替えなどをやっている。つまり、2週間に一度は掃除をしているのだが・・・義弟は基本的に「片付け」ができない。夫も片付けが苦手なので、血筋なのかもしれない。
行く度に掃除機をかけ、簡単に拭き掃除をし、トイレを掃除し、場合によっては刈った草を集めたり、不用品を処分している。結構な重労働なのだが、大掃除はその比ではない。
今まで蓄積した汚れとの戦いになるのだ。

夫の実家は夫が建てた家だ。築25年くらいなのだが、その割には傷んでいた。(今は息を吹き返している)
ワックスは10年以上きれている感じだったし、畳の手入れもされていなかった。風呂は黒カビだらけ、トイレの壁はまっ茶に変色し、廊下の電灯のカサの中には1センチ以上の虫の死骸が積もっていた。台所にはゴキブリの卵が大量に産み付けられ、シンク下の物入れには虫の死骸が底面を覆っていた・・・。第一、大量の荷物が押し込まれている状態だった。
その状態を復活させ、義弟が一人暮らしするには十分な状態にするのに、ずいぶん大変だった。
とりあえず、今の暮らしには問題はない。
・・・が、年末の大掃除では、それまでに蓄積していた汚れを何とかしたくなるのが人情だ。

大掃除は我が家も当然やっているので、2軒分の大掃除をすることになる。
・・・考えるだけで気絶しそうだが、考えていても何も進まないので、10月末から少しずつ夫の実家も整備している。我が家の分と、平行に進めている。
我が家の分は、「1年分の汚れ」だけで済むのだが、夫の実家の場合は「これまでの蓄積した汚れ」があるので、何倍も大変だ。
夫の実家を大掃除するのは今回で3回目なので、少しずつラクになってきているのだが、手を緩めてはイカンのである。油断するとすぐに義弟が汚したり物を散乱させたりする。

今週火曜日は、2階の窓(8組ある!)を全部磨き、義弟の部屋を含む2階の3部屋を整理整頓し、家具を磨き、2階廊下と階段と台所のワックスをかけた。11月の1週目に1階の窓と障子ガラスは磨き、1階廊下のワックスをかけてある。
少しずつ、進んでいる感じだ。
・・・が、実はまだ半分も進んでいない・・・。
夫の実家は田園地区特有の、やたら大きな作りになっているので、部屋数も多く、欄間もある。
やる事はまだまだある・・・。
台所とリビングと廊下の壁磨き、家具磨き、座敷の畳の手入れ、欄間の手入れ、トイレとお風呂場の壁の手入れ、トイレの尿石取り、お風呂の目地の補修と手入れ、玄関周り・・・要するに、まだ1階部分の2(和室座敷)LDK+風呂・トイレ・玄関・巨大な廊下があるのだ。
考えるだけで、ゾッとする・・・。

掃除を終えて帰宅すると、母が私に近寄ってきて、クンクンした。
「あんた・・・ほこりの臭いが全身から漂ってくるよ」
え・・・ほこりのにほひ・・・?
大掃除するときは全身着替えてやっているのだが。
ふと、思い立った。
その日は窓ガラスとワックスが重点目標だったので、ほこりなんぞ大したことないだろう、とタカをくくり、ほっかむりをしていなかったのだ。
ほこりのにほひは、頭髪から漂っているのではないか?
そう言えば・・・カーテンレールを磨きまくった。
今まで毎年磨けていたカーテンレールは1年分の汚れしかないのだが、今年5月に片付けた2階の2部屋のカーテンレールは、たぶん5年以上分のほこりが積もっていたと思う。それまではその窓までたどり着けなかった(大量の荷物で歩行不可能だった)ので、窓も磨けていないし、カーテンレールも掃除できていなかったのだ。窓の汚れは想像どおりだったが、カーテンレールは想像をはるかに超えていた。
あんな細いレールの上に、こんなにほこりって積もるんだなぁ・・・とある意味で感心した。
カーテンレールは当然、私の頭上にあるので、その積もり積もったほこりは私の頭髪に降り注ぐことになったのだ・・・。

次の日。
朝起きて鏡を覗くと、恐ろしい目になっていた。
まぶたがひどく腫れている。目も充血している。
これは。
ほこりのせいだろう。
それ以外に、思い浮かばない。
夜中に鼻水とくしゃみを連発したし、喉もほこりでいがらっぽい。(私はハウスダストのアレルギーがある)
ちゃんとマスクと眼鏡をしていたんだがなぁ。
・・・そして、全身が痛い。
なんのことはない、筋肉痛である。
いつもは使わない所が痛い。
脚立を何度も昇ったり降りたりしたので、腰が痛む。
雑巾絞りで握力が失われている。
力を入れて磨いたので、肩甲骨が痛む。
大掃除はナメてはいけない。
そんじょそこらの運動よりも激しい。
運動できた上に家もキレイになる・・・と思えば、まぁ、ヨシとしよう。

今週末はお天気が良くないらしい。
我が家の大掃除の続きをやろう。
2軒分というのは、案外大変だ。手を緩めたり休憩している暇がない。
まるで、おろしたてのパンツのようにキツイのだ・・・

ジュリー!

今月1日、ジュリーのコンサートに行った。
ジュリーとは、そう、沢田研二である。
お若い方々はあまりご存知ないかもしれないが、最近、コンサートを直前にキャンセルしたことで話題になった。
その騒動の起こる前から、私はコンサートに行く予定だった。
当日は平日。しかも、夕方5時30分の開演。仕事帰りの人には間に合わない時間帯だ。お客様は少ないかも。少ないと、またキャンセルされちゃうかも・・・と不安を胸に、レッスン後、会場へ向かった。

ところが・・・!
ほぼ満席だった。
空いてる席はほとんど見当たらない。
日本ガイシホールなので、ドーム型の体育館だ。一方向にステージを作るわけだから、満席だとたぶん8000席くらいか。
それがほぼ満員だった。
ジュリーのトレードマークの帽子をかぶった女性や男性も何人か見かけたし、ジュリーの若い頃の扮装でキメた若い男性のグループもいた。オシャレな白髪の男性も大勢見かけた。
しかし・・・多くが妙齢の女性だった。杖をついた方や車椅子の方も少なくなかった。
・・・年齢層が高い。
ジュリーも今年で70歳。ファンも同じようにトシを取るわけだから、これは仕方ないことだ。

「ジュリーが好き!」という人の中では、私はかなり若い方に分類されると思う。
ジュリーが「勝手にしやがれ」を歌っていた頃、私は小学校低学年で、よく、黄色い通学帽をカッコよく投げる練習を公園で友達とやったものだ。
「カサブランカ・ダンディ」が流行った頃は、学校帰りに公園へ行き、水筒に水を入れて、これまたカッコよく噴き出す練習を友達とやった。
ジュリーが天草四郎をやった映画「魔界転生」も見たし、光源氏を演じた「源氏物語」も見た覚えがある。
当時の私は、「男の色気」なるものなど、ち~っともわからなかったが、
お化粧をしたかっこいい男の人
と思っていた。
パルコのポスターも見入った覚えがあるし、ananの表紙を飾ったことも覚えがある。
その後、私は中学生となり、ジュリーもテレビの出演が少なくなった。
そして私はデビッド・ボウイに移行していくこととなったのである。
先日、ウクレレの山口先生が、
「ジュリーって、和製デビッド・ボウイって言われていたよね」
と言っていた。私はそれを知らなかったが、そう言われてみれば・・・である。
私の好きな系統は、そっちの方向だったのか~!

しばらくジュリーにはご無沙汰だったが、2年ほど前だったか、母とジュリーの音楽劇を見に出かけた。
その時、ブログにも書いたと思うのだが、ものすご~く良かったのだ。
豊かな声量、変わらない歌声。
ジュリーって、こんなに歌が上手かったんだ! と思った。
名古屋へ来る機会があれば、ぜひ見たい、とかねてから思っていたところに、先日のコンサートである。
私が座った席は、かなり遠かったので、ジュリーの姿はサッパリ見えなかった。いや、姿は見えたけど、顔はサッパリ見えない。ピエロのような衣装を着ていることはわかったけど、顔の中身なんぞ、全然見えない。
それだけに、歌に集中できた。
体育館なので、音響は実に良くなかった。ハウリングしてほしいところでハウリングせず、しちゃいかんところでハウっていた。
ミュージシャンはギター1本。
・・・でも。
ジュリーの歌はやっぱり良かった。
70歳であんなに良い声で歌える人がどれだけいるだろう?
70歳であんなに息継ぎなしで歌える人がどれだけいるだろう?
70歳であんなに休みなく(MCほとんどなし)歌える人がどれだけいるだろう?
70歳で、オリジナルのキーを変えずに歌える人がどれだけいるだろう?

確かに、容貌は変わってしまった。
以前よりは少しお痩せになったようだが、若い頃とは比べることはできない。
そりゃあ、小学校低学年で黄色い通学帽をかぶっていた私が、今や50歳である。身長は40センチは伸びたし、体重だって40キロくらいは増えている。ジュリーの容貌が変わっても、仕方ない・・・。
自分のことを棚に上げて、ジュリーを批判するのはイカンのだ。・・・と私は思っている。

しかしそれにしても、若い頃のジュリーは、それはそれは美しかったのである。
左の頬にあるホクロなんぞ、神の成した仕業としか思えんくらい、色気があるのだ。
カッコイイ、と言うよりも、とにかく美しかった。
美しいジュリーの姿は、今ではYou Tubeでも楽しめる。
美しいジュリーの映像(かなり長いビデオ)はこちら → ジュリー

私の好きなジュリーの歌は、「時の過ぎゆくままに」「酒場でDABADA」である。
「時の過ぎゆくままに」ならば、この映像が一番カッコイイと思っている。 → 時の過ぎゆくままに

ちなみに、今日の夕方、テレビ「ミュージック・フェア」で流れた映像はこれじゃないかと思う。 → 時の過ぎゆくままに2
まぁ、どれもこれもカッコイイのだが、私は「酒場でDABADA」の頃が一番カッコイイと思うのだ。
え?そんな歌、知らない!と思われるかもしれないが、ものすごく素敵なのだ。
「酒場でDABADA」の映像はこちら → 酒場でDABADA
このビデオはかなり凝った作りになっていた。
同じ人が投稿しているようだが、「黒DABADA」と「黄DABADA」が一緒に見られる映像もあった。 →2元DABADA


男の色気MAX!!というジュリーは素敵だけれど、私は今のジュリーも良いと思っている。
容貌が変わっても、変わらない歌声をキープしているのを、本当に尊敬している。
また名古屋へ来てくれるといいなぁ。
posted by プアアカハイ at 19:03愛知 ☀Comment(0)日記

大掃除、始まる

我が家では毎年、10月の最後の土曜日曜から大掃除を始める。
世間からすると、えらく早いような気がするが、これが一番効率が良いのだ。
今日は母と網戸を洗い、家中の窓を磨き、玄関周りを掃除し、電気のカサを外して洗い、エアコンを洗浄し、カーテンを洗い・・・と大忙しだった。
夕方には日曜出勤していた夫も帰宅し、そのぎっくり腰の夫もコキ使い、窓枠の桟の掃除も済ませた。
今日は暖かかったので、窓を開け放して掃除していても全然寒くない。
・・・それが、この時期から大掃除を始める理由である。

寒い時に窓を開け放して掃除するなど、まっぴらゴメンだ。
カーテンの乾きも遅いし、ワックスもなかなか乾かない。
防寒にたくさん着込んだ状態だと動きにくい。
この時期だと、ワックスもあっという間に乾いてくれる。
作業時間も短く、効率も良いのだ。

来週末はワックスをかける予定。
庭も「冬の庭」に作り替えたい。
おっと、その前におせち料理の注文に行かねば。人気のおせちはすぐに売り切れる。
どの家でもそうだと思うが、秋は主婦が本当に忙しい。
冬支度も必要だし、正月の準備も始まる。
外での作業はなるべく暖かいウチに済ませておきたいものである。

私の場合は、自宅だけキレイにすれば良い、というワケではない。
夫の実家の大掃除もある。
は~
ため息が出る・・・。
夫の実家の大掃除も入れると、やっぱり年末ギリギリまで大掃除に明け暮れることになるのかなぁ。
しかし、誰かがやってくれるワケではないし、誰かが手伝ってくれるワケでもない。なんとか、頑張らねば。

さぁ、今年の大掃除も頑張るぞ~!

posted by プアアカハイ at 17:35愛知 ☀Comment(0)日記

法事と仏壇終い

週末、夫の実家で法事を執り行った。
夫の亡父の13回忌と亡母の17回忌、仏壇供養の3つを同時に。
実家に住んでいるのは知的障がいのある夫の弟だけなので、引き出物やらお餅やらお茶菓子など、すべてをこちらで準備して持ち込んだ。
仏壇の前には、「今年は法事だろうから」と叔母達がたくさんお供えを送ってくださり、果物と合わせて、にぎにぎしくなった。

仏壇供養は・・・
これは前からの懸案事項の一つだった。
夫の実家の仏壇は巨大でとても古い。たぶん・・・明治時代と思われる。天板などが何度も修理されている跡があるし、仏壇の中の引き出しには、なんと「大正元年」と書かれた経本が入っている。
仏壇の中身は義父が亡くなる前に、夫と整理したので、「なんじゃ~ こりゃ~」という物はなかったが、「しまうところがわからんから、とりあえず仏壇の中に突っ込んでおいた」のような物がいろいろと出てきた。

法事は無事、終了。
その後、夫と義弟と共に仏壇供養の終わった仏壇を解体した。
なにしろ古い仏壇なので、ちょこっと触っただけで、ばらばら・・・と何かがちぎれてくる。
法事の前の掃除の時にも、雑巾でなぞっただけで、蓮の花がちぎれたり、天女様の手がもげたりした。(!)
仏壇磨きの薬品で阿弥陀様の後背(背面にある後光みたいなやつ)を拭いたら、その後光の棒が何本か折れた。(!)
結構、限界に来ていた仏壇だったのだ。
とにかく、ちょこっと掃除すれば、いろいろな所が壊れて落ちてくるし、今後、この家で仏壇のお世話ができる人材もいない。
・・・そこで、お寺に相談し、今回の「仏壇終い」になった。

「仏壇って、どうやって処分するんですか?」
と生徒さんから尋ねられたが、仏壇は閉眼供養(仏壇供養)をしてもらえば、普通に粗大ゴミに出せるのだ。
「そんな手間はかけたくない!」という場合は、仏壇屋さんに依頼してやってもらうこともできるし、お寺に仏壇を持って行って処分をお願いすることもできる。
しかし・・・夫の実家の仏壇は巨大なので、とてもじゃないが、お寺まで持って行けない。ちなみに私の実家(今、住んでいる)の仏壇は父がまだ軽度の認知症だった段階でお寺へ持ち込んで供養してもらい、処分もお願いした。我が家の仏壇は「町のサイズ」で、車に載せることもできたのだ。
だが、夫の実家の仏壇は車に載せられるサイズではないし、第一、重すぎる。
供養が済んでも、そのまま粗大ゴミにするのも、実は大変なのだ。夫の実家のある自治体では、粗大ゴミを集積所まで運ばねばならない。・・・ってことは、やっぱり車に載せなきゃならん。
そこで・・・お寺に相談し、自分たちで解体することにした。

前述のとおり、かなり限界に近い状態の仏壇は、ちょこっと触っただけでもボロボロと壊れてくる。
のこぎりを使わなくても、夫が手で、仏壇内部の飾りをもぎとった。重くて頑丈な扉は蝶番を金のこぎりで私が切断した。
こうして、仏壇は空っぽになり、現在は外枠が残るだけになった。要するに、空のタンスのような感じだ。上下2段に分かれているのだが、それが経年劣化により、くっついていたが、それも切り離した。ちなみに、その間からはネズミの糞やら何やらがごっそり出てきて、そのたびに私をビビらせた。
しかし、中身も空になったし、上下に分けられるようになったので、車で運べる。
年内には粗大ゴミに出せそうである。

今回の法事では、もう一つの行事があった。
夫と私は、法名を頂戴したのである。
私の実家も夫の実家も偶然だが、同じ宗旨宗派である。浄土真宗では戒名と言わず、法名と言う。
2人一緒にお寺に頼んだので、よく似た法名になった。
私の法名は、まるで江戸時代の、大名のご後室様(未亡人)のような名前だ。
光授院釋尼百春
という。
「百」は私の名前(小百合)の一文字。「春」は、たぶん、春の生まれ(5月)だからだろう。
夫は、院号が「光専院」なので、「光」という文字が共通だ。漢字は違うけれど、夫の名前は「みつお」なので、そこから「みつ」を「光」に読み替えたのだろう、と思う。
なかなか興味深い。

50歳で法名を頂くのは早い、と思われるかもしれないが、法名は本来、生きている間に頂くものだ、と亡くなったおばあちゃんが言っていた。本当かどうか知らんが、思い立ったら吉日、なのである。
子孫のいない私からすると、「何事も早めに準備しておく」というのは最重要課題なのだ。
夫は今年が還暦なので、法名を頂くのには丁度良い・・・じゃあ、私も一緒に、という感じだ。

法名を頂いた時、肩衣も頂いた。
なんだか・・・天国への切符のような気がする。
夫と、「なんだか、ほっとしたねぇ」と話した。
こういうのが、心の平穏につながるんだろうなぁ・・・と実感した。
さてさて・・・頂いた肩衣と法名の書いた紙をきちんと保管しておかねば。
いざ葬式、という時に、「法名がわからん!」「肩衣はどこへやった?」と慌てなくてもいいように。







posted by プアアカハイ at 21:05愛知 ☁Comment(0)日記

一体感を出すには

ホヌスキーさん、いつもコメントをありがとうございます!
グループ・フラで、どのように一体感のあるフラにするか・・・
私はいつも、どうやってそれを生徒さん達に教えているか・・・
整理して考えてみました。

まず、一番にお伝えしなければならないのは、一体感のあるフラが踊れるようにするには、
先生主導の方法
が最も多い、ということです。
「先生」が主導するのが、一番効果があり、その方法もたくさんあります。
一方、生徒主導で一体感のあるフラを踊ろうとするのは、不可能ではありませんが、その方法も少なく、難しいです。

「先生」が主導して、一体感のあるフラを踊るには・・・

・「角度」と「タイミング」を合わせるよう指導する。
1曲を通して全部が一糸乱れぬ揃ったフラをするのは非常に難しいです。もちろん、そういう技術を持った教室やクラスもあるでしょうが、それにはメンバー全員の技術レベルがほぼ同じでないと難しいです。各自の練習時間や環境、体格差や身長差があると、一糸乱れぬフラというのはなかなか踊ることができません。
技術レベルがまちまち、体格差もある、練習時間もあまり確保できない・・・となると、「多少乱れてはいるが、それなりに一体感を感じさせるフラ」を目指すのが得策です。
「多少乱れてはいるが、それなりに一体感を感じさせるフラ」にするには、なんと言っても、「角度」と「タイミング」です。
このタイミングで手を上げる、このタイミングで身体の向きを変える、このタイミングで踏み出す、など、まずはタイミングを合わせます。
それができるようになったら、「角度」を合わせます。
手のひらの角度、二の腕の角度、顔の角度、身体の角度、などを合わせます。
それにタイミングを合わせ、このタイミングでこの角度に顔を合わせる、このタイミングでこの角度に身体の向きを変える、と、「タイミング」と「角度」を合わせます。

・「ここ」を合わせてほしい、と合わせる所を明確に指導する。
前述の「タイミング」と「角度」を合わせるのに、1曲をとおして全部を合わせるのは難しいです。もちろん、合えば最高なのですが・・・そんなのはメリーモナークのレベルです。
・・・であるならば・・・
「ここ」と「ここ」と「ここ」は合わせましょう! のように、「絶対に合わせてほしい所」を明確に先生が決め、生徒に指導するのが得策です。
私はいつも、「ここだけは合わせて~!」と指導しています。その、「ここだけ」を合わせるだけでも、相当、一体感が出せます。

・「枠」を崩さないように指導する。
踊っているグループの、「枠」が崩れると、一体感は出せません。
四つ角を踊るメンバーの腕にかかっています。この四つ角のメンバー(4人)が、きちんと「自分の位置」をしっかり守って踊れば、「枠」は崩れません。
よく、最前列に上手なダンサーをまとめて配置するグループを見かけますが、重要なのは最前列が上手いかどうかではなく、四つ角がどれだけ位置を守れるダンサーであるか、の方がずっと重要です。
要するに、「上手いけど位置がずれる」というダンサーは四つ角には適しません。逆に、「たまに踊りを間違えたりはするけど、絶対に自分の位置を守れる」というダンサーの方が、四つ角には適しています。
また、3列以上の大人数で踊る場合は、2列目が最も重要になります。
1列目が上手(かみて)の方にずれていってしまった、とします。その場合、2列目はどうするか? 正解は、「それでも2列目は、ずれてはいけない」です。もし2列目も1列目に合わせて上手(かみて)方向にずれていってしまうと・・・当然3列目や4列目もずらさねばなりません。そうすると、「枠」が守られなくなります。枠全体が上手(かみて)に寄って踊る・・・という、人口密度バラバラの恐ろしいフラになってしまいます。そのようなことから、大人数のグループの場合は、四つ角だけでなく、2列目も「自分の位置を守れる人」にする必要があります。
ダンサーの並び順は先生が決めるのが普通なので、先生はそこらへんを調整しながら「枠」を作ります。そして、四つ角を踊る人や2列目のメンバーには、「いかに自分の位置を守るかが重要」ということを繰り返し指導します。その「枠」がしっかりすれば、一体感のあるフラが踊れるようになります。

・メンバーを鼓舞させる
「?」と思われるかもしれませんが、これ以外の言い方が見つかりません。
イベント当日に向かって、ダンサーの気持ちをどんどん盛り上げていきます。
グループで踊る楽しさを感じていただき、グループのフラとしての美しさをきちんと伝えます。
「ここをこうすると、お客様からきれいに見える」「ここを一番繊細に踊る」など、具体的に、「お客様から見た美しさ」を説明し、その部分を繰り返し練習します。
「お客様から見た美しいところ」と「踊る人が感じる美しいところ」は案外、違うものです。メンバーを半分に分け、片方に踊ってもらい、片方がお客さんの役をしてもらうと、お客様がどこを見ているか、どこで美しさを感じるかがわかります。
「お客様目線」を意識しながら指導していくと、「お客様にフラの美しさを見てもらいたい!」という気持ちが高まります。

・・・と、ここまでは、先生が指導することによって、一体感のあるフラを作っていく方法。
ここに書き切れませんが、たくさんの方法があります。
一方、生徒さん達が主導して、一体感のあるフラを作るのは非常に難しいです。
難しいは難しいのですが、不可能ではありません。
私の生徒さん達は、次のようなことをしています。

・「基準」を決める。
普通、ハワイのハラウでは、「基準」になるダンサーがいます。
私のクラスでも、「基準」を決めています。「基準」は、1列目の上手(かみて)の角の人です。
振り付けによっては1列目の真ん中の人になることもありますが、9割以上は「最前列・上手(かみて)・角」の人です。
列のラインやステップ、腕を含む上半身の動きはすべて、この「基準の人」に合わせます。
2列目の上手(かみて)の角の人は、その「基準の人」に合わせます。3列目の上手(かみて)の角の人は、その2列目の人に合わせる・・・というように、各列すべてが一番上手(かみて)の人を基準にします。
踊りも位置も、全部、その列の一番上手(かみて)の人に合わせて踊ると、かなり一体感が出せます。その各列の一番上手(かみて)の人は、最前列の上手(かみて)の角の人を基準にしているわけですから、この「基準の人」というのが最重要人物(!)になります。
その「基準」に合わせることに努力するのは、生徒さんみんなで取り組めます。
とにかく、自分の左にいる人に合わせていく、という練習をしていくと、自然に一番上手(かみて)の人に合っていきます。
まずは、自分の左の人に合わせていきましょう。
私のクラスでは、ベーシック・ステップの練習の時から、左の人に合わせるようにしています。

・前後左右を「察する」。
隣との間隔だけでなく、ステップの歩幅や手のモーション、腕の高さなど、隣の人を察しながら踊る努力をします。
フラは、見るべき場所を見て踊るわけですが、そんな時にも視界の端を気にしながら踊ります。そして何気に隣の人を察するわけです。
これは、長く一緒に練習しているメンバーには難しいことではありません。メンバーが入れ替わり立ち替わり、というクラスだと、難しいかもしれません。
しかし、たとえメンバーの入れ替わりが激しいクラスでも、元からいるメンバーの方が多いでしょうから、その元からいるメンバーの中に包括する、という考え方で、「みんなと馴染んで踊っていく」という練習をすると良いと思います。
「馴染む」というのは、プライベートに踏み込んだり、仲良くなったり、ということではなく(もちろん、仲良くなれれば最高です)、一緒に踊るということに慣れてもらう、ということです。レッスン中は、お互いに「仲間」という意識が持てれば、馴染んだ踊りができるようになります。「仲間」の意識が生まれれば、前後左右を察することができます。

・注意事項を共有する。
先生にフラのことで質問する時、みんなのいる場所、みんなが聞ける環境で尋ねましょう。
レッスンの休憩時間やレッスン後に、先生に個人的に質問するのは悪いことではありませんが、その教えてもらったことをメンバー全員で共有するのが難しいです。もう帰ってしまっている生徒さんもあるでしょうし、トイレに立っている生徒さんもいるかもしれません。ぜひ、船員のいる場で、みんなでその情報が共有できる環境で質問してください。
だいたい、1人が疑問に思うことは、他の人も疑問に思っています。みんなで、「なるほど~!」となると、それだけでも一体感が出ます。そして、「よしっ! 頑張ろう!」と、みんなで感じることができます。

・・・生徒さん主導だと、できることはこの3点かと思われます。
特別に自主練習しなくても、普段のステップの練習から左の人に合わせる努力をし、隣の人を察しながら踊っていけば、それだけでも一体感は出せます。
練習時間が長いから一体感が出せるのか、と言えば、決してそうではありません。
私のクラスもカルチャー教室ですから、練習時間は限られています。しかし、限られていると、逆に集中力が出ます。
一緒に練習できる時間が少なくても、一体感を出すことはできます。(と思っている)
ちょっとした意識でずいぶん変われるものですよ。

長文になってしまいましたが、少しでも参考になれば嬉しいです!