おみゃ~ なんちゅ~だぁ

先日、夫と映画を見に行った。
封切り後から「行かなきゃ」と思っていたのだが、なんだかんだと忙しく、気がついたら封切りしてから1ヶ月以上経っていた。
イマドキの映画は、ロングランは珍しく、割とすぐに終わってしまう。見に行くタイミングを逃し、「見たかったのに!」と悔しがることも少なくない。

見た映画は、「関ヶ原」
キャストはなかなかの顔ぶれであった。(個人的には岡田准一!)
この時代の英傑は、多くがここらへん(愛知県)の出身だ。信長、秀吉、家康、利家、正則、清正、小六。
大河ドラマでいつも思うのだが・・・
ここらへん出身の英傑なのに、皆さん案外、標準語の台詞まわしだ。
強烈な名古屋弁の台詞がついているのは、秀吉ねねくらいなもんだ。
いつも2枚目俳優が演じる信長なんか、清洲の出なのだから(幼少期は名古屋市千種区末盛)、相当な尾張弁まじりの名古屋弁でなくてはならん。なのに、どの局のドラマでも、しぶ~く標準語をしゃべっている。アレは絶対におかしい。
利家も名古屋市中川区荒子の辺りの出だから、下町バージョンの名古屋弁でなくてはならん。正則だって、海部郡の出なのだから、尾張弁でなくてはならん。(尾張弁と名古屋弁は微妙に違う)
・・・なのに、いつも強烈な名古屋キャラクターを演じてくれるのは、秀吉とねねだけなのである。

その秀吉にしても、おかしな名古屋弁の台詞をしゃべらされていることが多い。
「そんな風には、言わんわ~」
と、私はいつも思っているのである。
元々の名古屋弁では、濁音の発音は鼻濁音である。舌のつけ根を酷使するような「がぎぐげご」はないのだ。
しかしドラマになると、途端に、とても汚い名古屋弁になる。
アレはなんでか。
たぶん・・・ここらへん出身の俳優さんじゃないから、ネイティブな発音はできないのではないだろうか。

そこへいくと、今回の映画「関ヶ原」では、とても忠実だった。
冒頭、秀吉がまだ若い頃、お寺で一服する場面がある。
そう、あの有名な、三成(佐吉)と出会う場面である。
当時、長浜城主だった秀吉が、お寺でお茶を所望する。お茶を運んできたのは幼き頃の三成。三成は、1杯目のお茶は一気飲みできるぬる~いお茶をお茶碗一杯にして出し、2杯目はもう少し熱いお茶を茶碗の半分にして出し、最後の3杯目はちんちんの(ものすごく熱い)お茶をお茶碗3割にして出した。
その知恵に感心した秀吉は、その男の子に尋ねる。
「おみゃ~ なんちゅ~だぁ」


秀吉を演じていたのは滝藤賢一さん。
そう、名古屋市出身の俳優さんだ。
私はドラマで滝藤さんが名古屋弁をしゃべっているのを聞いたことはなかった。
しかし・・・なんたる、見事な名古屋弁
発音、アクセント、微妙な鼻濁音、どれをとっても、まさにネイティブな名古屋弁だった。特に、語尾の「だぁ」の下げ具合なんぞ、絶妙である。
生粋の名古屋人の私としては、実に感涙ものであった。

映画の帰り道、夫と、その見事な名古屋弁について話した。
「いや~ 実に見事な名古屋弁だったねぇ」
「ああでなけな、イカンわなぁ」(ああでなくては、いけないよなぁ)
しかし・・・二人とも、同じ事を考えていた。
「だけどさぁ、あの台詞って、フツーの人は、わかるんだろうか?」
ここで言う、「フツーの人」というのは、標準語を話している人々のことである。
「ほりゃ~ わかるわさ~」(そりゃあ、わかるだろう)
・・・本当にわかるんだろうか。

「おみゃ~ なんちゅ~だぁ」
というのは、
「君の名前は何というのかい?」
のことである。
こういうことである。
君の名前は何というのかい? → おまえの名前は何ていうの? → おみゃ~は何ていうんだ? 
このような過程を経て、「おみゃ~ なんちゅ~だぁ」になるのである。
この言い方は、基本的には目下・年下の人に言う言い回しである。エライ人に、いくら名古屋人だからといっても、こういう言い方はしない。
親しい同輩・友人レベルだと、「おみゃ~」が「おみゃ~さん」になる。「おまえさん」ということだ。
民放ドラマで「おみやさん」というのがあり、渡瀬恒彦さんの主演だったが、私はよく混同していた。
おみゃ~さん、「おみやさん」まぁはい、見りゃ~たか
(おまえさん、「おみやさん」はもう、見られましたか?)
・・・ここまで来ると、早口言葉である。

私には東海地区の生徒さんしかいないので、
「おみゃ~ なんちゅ~だぁ」
の意味がわかるかどうか、尋ねられる人材がいない。
他の土地の人は、この言葉がわかるのだろうか。
聞いてみたいものである。

ドラマとか映画だと、より多くの視聴者が理解できるように、方言がマイルド化されている。
もちろん、それは結構なことなのだが、英傑達が名古屋弁で会話しているのを想像すると、なかなか面白い。
「おみゃ~ なんちゅ~だぁ」
「小六だがね」
「ほ~か、ほ~か。まぁ、おみゃ~さんもわしの家来(けりゃ~)になったでよぉ、きばったってちょ~よ」
とか、
「わしの草履がぬくなっとる。誰がやりゃ~たか。」
「そりゃ~、わしだでよぉ。」
「ほ~か、おみゃ~かぁ。よう勘考しとるがねぇ。えりゃあなぁ。わしの一番の家来(けりゃ~)にしたるでよぉ。」
・・・なんて具合になる。

ドラマや映画で方言を聞くと、いつも思う。
源頼朝と義経の対面のシーンだ。
あの二人は、本当に、言葉が通じたのだろうか???
頼朝は伊豆に流されて、その後、鎌倉へ。義経は奥州平泉からやってきて対面する。
関東の言葉と、東北の言葉で、ちゃんと通じたのだろうか。
その頼朝にしたって、元々はここらへん(愛知県)の出身だし、義経は幼少期は京都の鞍馬。
・・・大丈夫なんだろうか。
本当に言葉が通じて、感動の対面が果たせたのだろうか。

方言は本当に面白いと思う。
所謂、「中央」の映画やドラマで名古屋弁を聞くと、嬉しくなる。
あまり忠実すぎると、他の地域の人にはわかりにくいと思うが。
一度、「1本全部、名古屋弁」という映画を見てみたいものである。











咳の原因は ~その3~

いやはや・・・私の人生において、「侮蔑」という単語を使ったのは、いったい何年ぶりだろうか。
冷静になればなるほど、静かに話せば話すほど、怒りはおさまるものの、事態は変わっていないことに気づかされる。

義弟はエアギターとハミングをしていたが、しばらくするとそれにも飽きてしまい、ぼんやりしていた。
本当に、もう限界は超えている。
そこへ件のベテランスタッフがやって来て、
「あと3人ほどお待ちください。また、精神科にも連絡を取りましたので、対応させていただいます。」
と言った。
これなら、もしもの時にも大丈夫だ。
私はそのスタッフにお礼を言い、義弟に話しかけた。
「もうあと、3人ぐらいだってさ。もうちょこっとだから、頑張ろうね。」
「うん」
そこからまた、私と義弟はあれこれ小声でおしゃべりをして時間を過ごした。

結局、診察に呼ばれたのは、午後1時30分過ぎ。
なんと! その待合室に案内されてから、4時間30分が経過していた!
診察はスムーズだった。
医師は丁寧に話を聞いてくださり、すぐに検査のオーダーを出してくれた。
「今からすぐに、CTと血液検査をしましょう。外部の検査機関でしかわからない項目もありますが、ほとんどはすぐにわかりますので、肺が白く写る原因はわかりますよ。」
とおっしゃった。

義弟と私は案内されたCT撮影室へ行った。
検査技師の方に、「知的障害があり、左耳が中度の難聴なので、ゆっくり話していただけませんか」
とお願いした。
義弟には、
「レントゲンみたいな写真を撮るんだよ。もっと詳しくわかるからね。痛くないからね。」
と説明した。
義弟は検査技師に伴われ、CT撮影室へ消えていった。
大丈夫なんだろうか・・・

そんな心配をヨソに、義弟は無事、CTを撮影した。
「上手にできてましたよ。」
と検査技師さんに褒められ、義弟はニコニコしていた。
続いて、血液採取室へ。
義弟は血液を採取される時、注射針が怖いようで、アサッテの方向を見ていた。
が、これもクリアー。
そして私たちはまた、例の待合室へ戻った。

それから待つこと、30分。
検査結果が出るのは案外早かった。
医師は、
「これはじん肺ですねぇ」
とおっしゃった。
じん肺については、間違っているかもしれないが、私の中の認識では、
粉塵や砂塵、いけない化学物質かなんかを吸い込みすぎて咳が出る病
だった。
「え? あの、粉塵なんかを吸い込むことによってなる病気ですか?」
「そうですね。」

医師の説明によると・・・
要するに、長年にわたって粉塵や埃を吸い込み、それが体内で蓄積されて、こういう症状が出るとのことだった。粉塵の量には個人差があり、「ものすごく吸い込んでいても大丈夫な人」と「ちょっとでもダメな人」があるらしい。
義弟はその昔、木工所で少しだけ働いたことがあったらしいが、その期間も短く、40年近くも前のことなので、直接的な原因とは言えないかもしれない、と医師は言った。
「あのですねぇ、大変失礼ですが、この患者さんは、清潔な環境で暮らしてこられましたか?」
と聞かれた。
「今は私と夫でしっかりとした清潔な状態で暮らせるように整備していますが、それはここ1年のことで、それ以前はそうではなかったようです。詳しくはわかりませんが・・・」
と答えた。すると義弟は、
「あの、あの、あの・・・、掃除機はかけてませんでした。荷物が一杯で、掃除機がわかりませんでした。今はわかるので、作業所が休みの日にたまに(掃除機を)かけてます。」
と言った。
医師はやさしく、そうですか、えらいですね、と言ってくださった。
そして私に、
「じん肺が出たのはたまたま今だった、ということなのです。これまでの間の長期間に体内にたまった粉塵や埃が関係しているのです。今がイカンということではないので、このままの環境を維持してください。」
と言われた。

これだけ明確に、「埃のせいです」と言われると、なるほどと思うと同時に、かなり恥ずかしくなった。
私が彼の部屋を汚したわけではないのだが、「部屋が汚いからです」と言われると、
アナタはダメな主婦です
と言われているように感じる。
私は彼とは一度も一緒には住んでいないのですが・・・と言うべきか?
いや、そんなことは医師には関係ないので、黙っておくべきか?
黙って、「ダメ主婦」と先生に思われたままにしておくべきか?
う~ん・・・と考えていると、義弟が、
「あの、あの、あの、汚かった時は、お姉さんとは住んでいません。一人暮らししてます。おにいちゃん(私の夫)とお姉さんにキレイにしてもらってから、ずっとキレイにしてます。」
と言った。
義弟は私をかばってくれたのだが(本人にそういう意識があるかどうか、わからんが)、これまでの経緯の説明が必要になってしまった。
医師は私の要約を聞き、
「うん、これはやっぱり、じん肺ですね。結核とか肺炎ではないので、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。」
とおっしゃった。

医師は2週間分の咳止め薬を処方してくれた。
会計手続きを済ませ、病院の向かいにある調剤薬局へ行った。
無事に薬をいただいて薬局を出ると、既に時刻は午後4時だった。
水分は取っていたが、何も食べずに、夕方を迎えてしまったのだ。
あと何人の診察を待つのかがわかったら、何か買いに行って、彼に食べさせることができたのに・・・
本当にかわいそうなことをしてしまった。

義弟と近くにあるファミリーレストランで「ものすごい遅い昼食」を取った。
義弟の咳はウイルスとは無関係なので、人様に感染させるものではないが、咳をしていると喉が荒れる。乾燥もする。自然、風邪も引きやすくなる。しっかりと栄養を取らせねば。
この日の通院は、非常食を持っていなかったので、大失敗だった。
義弟は「美味しいね」と何度も言い、一生懸命食べていた。
私は義弟に、医師の話をわかりやすく、かみ砕いて、じっくりと説明した。義弟は理解したようだった。
表情も明るくなり、例の「積極的な咳」はしていない。

それが、先週火曜日のことだった。
今日、義弟の様子を見に行った。
車で1時間30分近くかかる。もっと近かったら、もっと度々様子を見に行けるのだが。
義弟は咳をしていなかった。
咳止め薬がよく効いているようである。
重篤な状態ではないとわかり、本人も落ち着いていた。

来週、また市民病院へ連れて行く。
外部の検査機関に出している検査結果を教えていただくためである。
知的障害であることを医師が考慮してくださり、午後の1番最初の予約になっている。それなら、お昼ご飯を食べさせてから出かければよい。助かるなぁ。

知的障害のある家族を大病院に連れて行くというのは、なかなか大変なんだなぁ、と痛感した。
予想はしていたが。
認知症の父を連れて行くのもかなり大変なのだが、それとは違う「大変さ」が伴う。
私は人権論者でもないし、障害のある人の人権について声高に論ずる気もないのだが、差別されたり、必要以上に侮辱されると、ものすごく悲しくなる。
ショッピングセンターで知らない人から、「アンタの連れとる子は、『足らん子』かね!!」と罵声を浴びせられると、本当に悲しくなる。その人は、侮辱したつもりはないのかもしれないが、こんな鉄板な私でも、結構こたえる。
フードコートで食事をしていて、隣の席の年配の人が、義弟の目の前で両手をパチンと叩いて大きな音を立てて義弟をビックリさせようとからかったこともあった。その場で私はその年配者を諫めたが、後々になって、涙が出てきた。心ない人は、案外、いるのだ。
私は「障害者だから、かばってくださいね!」などと言うつもりもないし、特別な配慮をしてもらうのが当然、とも思っていない。
ただ、温かく見守ってもらえるといいなぁ、と思っている。
せめて、心ない言葉で不必要に傷つけたり、からかったりしないでほしいなぁ、と思うのだ。









 
posted by プアアカハイ at 18:25愛知 ☀Comment(0)日記

咳の原因は ~その2~

前回の続き。
火曜日は市民病院への通院となった。
知的障害のある義弟の咳の原因とレントゲン写真の肺の白さを解明するためだ。
その日の朝は、夫を送り出した後、支度をし、7時に(!)自宅を出発した。
朝の通勤ラッシュがあるため、この時間に出発しないと、義弟の住む家までは2時間近くかかってしまう。結構な「旅」なのだ。

義弟の家に着いたのは8時30分。
そこから義弟を車に乗せ、まずは金曜日に行った医院へ行き、紹介状と検査結果を受け取り、それから市民病院へ転進した。
この紹介状には驚いた。
紹介状を書いてもらうには、当然、文書料が発生する。これは、障害者医療でも同じだ。
文書料は医院によって値段が違う。
先日、父と母の難病認定更新のためにそれぞれ主治医による診断書を書いてもらったのだが、父の主治医と母の主治医では値段が3倍(!)も違ったのである。
父の診断書の文書料は5400円だった。(5000円+消費税)
しかし母の診断書の文書料は、なんと、16200円(15000円+消費税)だったのだ!!!
書式の決まっている、双方同じような診断書なのだが、お値段は3倍もする。
義弟の行った呼吸器内科の医院では、文書料がいくらなのかわからなかったので、母の例もあるため、結構なお金を持って出かけた。
ところが・・・
「小笠原さん、じゃあ、この紹介状を持って行ってくださいね」
と、受付で封筒を受け取った。
「文書料は、おいくらだったでしょうか?」
と尋ねると、
「いえ、いりませんよ」
と言われた。
ええええ~! タダなの~!
かなり驚いたが、出費がおさえられた。助かるなぁ。

市民病院に到着し、初診受付を済ませたのは9時9分だった。
ここまではかなり順調だったのだ。考え得る、最短の作業・最短の行程を経て、ここまで至った。
ところが、である。
ここからが長かった。
私は若い頃に大学病院で大きな手術をしているので、大病院がどれくらいの待ち時間なのか、どういうシステムなのかは、よくわかっていた。
初診の場合の待ち時間は、3時間くらいになるだろうなぁ~と予想をしていた。
9時9分の受付だから、呼ばれるのは正午になるだろうなぁ、と。
義弟には自宅を出る時に、
「たぶん、3時間くらい待たなきゃならんだろうから、暇つぶしの本でも、持って行こうか?」
と行ったのだが、
「ううん、いい。いらない。いろんな人を見てるから、大丈夫。」
と言った。義弟は漢字に読み仮名をふった本なら読めるので、時間つぶしの本を持参することを勧めたのだが、本人はいらない、と言う。
「でもねぇ、病院だからね、待合室でおしゃべりはできないんだよ。静かにしていなきゃイカンでね、長くなると暇つぶしの物がほしくなるよ。」
と、もう一度勧めてみたが、彼の返事は同じだった。
いつも通院している精神科の病院は、待合室がかなり騒がしく、患者さん達の多くは何かしらおしゃべりをしているので、その病院ではいつも、義弟は私とおしゃべりしながら診察を待っている。でもこの日は内科なのだ。具合の悪い人ばかりだろうから、おしゃべりする声を気にする人が多いだろう。
・・・という心配はあった。

義弟は指定された待合のソファに腰掛け、そこにやって来る患者さん達をウォッチングしていた。
受付でも、簡単なメディカルチェックをしてくれた看護師さんにも、「知的障害があります」と伝えたのだが、一般の待合室だった。最近の大きな病院は、他の患者さんに迷惑をかけそうな患者は、他の待合室を案内することが増えてきたようだが、ここではそういうものがないようだった。
義弟は、やって来る患者さんを観察し、ものすごく小さな声で少しおしゃべりしたりで、他の人に迷惑にならないように、頑張っていた。
しかしそれも2時間を過ぎると、できなくなってきた。
待合室が少しずつ、すいてきたのを見た義弟は、ものすごく小さな声で歌を歌い始めた。そう、彼は歌を歌うのが大好きなのだ。何かの作業中は大抵、歌を歌っている。作業所では静かにしているらしいが。
要するに、ちょっと油断すると、歌を歌ってしまうのだ。
でも、その待合室はかなり人が少なくなっていたので、特別に迷惑になるような状況ではなかった。たまに、「あれ?」という目で義弟を見る人はいたが、私が「すみません。知的障害があるので、ご迷惑をおかけしています」と言うと、「大変ですね」とねぎらってくれる人がほとんどだった。

そして、3時間が経過した。時計は正午を指していた。
義弟は顔面チックを起こしていた。
「顔面チック」とは、顔がヒクヒクするやつである。疲れ目なんかだと、目の周りがヒクヒクしたりする。あれと同じだ。主に、ストレスによって起こる症状だ。
義弟の場合は、顔全体がヒクヒクする。表情が全くわからないほどに痙攣する。
さすがにこれはイカン、と思い、内科受付へ行った。
そして、もう一度、知的障害があることを説明し、顔面チックになっていることを伝えた。あと、どれくらいの待ち時間なのか、何人の患者さんを待つ必要があるのかを尋ねた。
しかし、受付のスタッフは、「そんなことはお教えできませんね。知的障害なんでしょ? なんで、それを早く言ってくれなかったのかなぁ~ 忙しいんだよね~」とタメ口(ためぐち)で面倒くさそうに、木で鼻をくくったように言った。
そして、「知的障害なんだったら、精神科でもいいんじゃないですか? ここは内科ですよ~ 精神科に行った方がいいんじゃないかな~」と言った。
その瞬間、私はキレた

私はまず、キレることはない。
少なくとも、ここ15年はキレていない。
若い頃は瞬間湯沸かし器で、夫とどちらが湯が沸くのが速いか、というレベルだった。が、そんな私もトシを取り、人を教える仕事をしていたり、それに加えて重度の認知症の父の相手や知的障害のある義弟の世話をしていく過程で、「怒る」「キレる」ということは、ほとんどなくなってしまった。
しかし、さすがにこの時はキレた。
私は怒っている時に限って、ものすごく丁寧な言葉遣いになる。キレていればキレているほど、丁寧になる。丁寧語を通り越して、謙譲語まで使う。
「いえいえ・・・ここへは、呼吸器内科から紹介状をいただいて受診に参ったのです。知的障害とは関係のない症状で伺っております。そして最初にこの受付でも、本人に知的障害があることは口頭で申し上げていますし、問診票の特記欄にも知的障害があることと飲んでいる薬について記載させていただいております。受付では○○さんがその問診票をご覧になった上で、知的障害があるのですね、とおっしゃってました。メディカルチェックをしてくださったのは××さんという看護師さんで、知的障害があることと、どのような症状があるのかということと、じっとしていられる時間が短いのでご高配を願いたいということも伝えてあります。」
と言った。とりあえず、タメ口受付嬢の投げつけた言葉に対する返答をした。そして今の状況を説明した。
「幼少期にひきつけを何度も起こし、今でも強烈な顔面チックになった後には、かなりの頻度でひきつけを起こします。その場合は普通は救急車を呼ぶことになるのですが、ここは病院なので、当然、それには対応していただけるのですよね? ベッドをご用意いただけるのですよね? ひきつけの件も××さんには勿論伝えてありますし、3時間以上経過していて、そういう危険性をはらんでいることも病院側はじゅうぶんに把握していらっしゃるのですから、ひきつけを起こしても対応します、というのを病院の姿勢と考えてよろしいのでしょうね?」
とたたみかけた。口調はあくまで丁寧に、ゆっくりと。そして、滑舌はっきりと。表情は勿論、軽い笑顔(!)である。
・・・私は怒っている時ほど、冷静なのだ。

ここでようやく、タメ口受付嬢は、
「ちょ・・・ちょっと、お待ちください」
と言った。そして、奥の事務所に何やら聞きに行くようで、私に背を向けた。
その背中に向かって、
「あ、お忙しいのでしたら、慌てて対応いただかなくてもいいですよ。順番も教えていただけないとおっしゃってましたよね? こちらは、ひきつけを起こした時にきちんとベッドをご用意いただければよいのです。規則をあえて曲げてまで、そしてあなたの忙しさを倍加させてまで、お願いできるものとは思っていませんから。近々、ひきつけを起こしそうだ、ということだけご承知置きくださいね。」
と言った。
すると、他の作業をしながら、その話を聞くともなしに聞いていたらしきベテランのようなスタッフが青くなって慌てて言った。
「大変失礼しました。申し訳ありません。あと何人の患者さんなのか、すぐにお調べいたします!」
「いえいえ・・・『申し訳ない』などということはありませんよ。ああ、こういうご姿勢の病院とスタッフなのだな、こういう話し方や対応をスタンダードとしている病院なのだな、ということがわかっただけですから。知的障害者は、精神科以外のどの病院へ行っても多かれ少なかれ、何らかの差別はされますし、侮蔑な意図を感じることも少なくないですから、私は慣れています。」
・・・ものすご~く、私の頭の中は冷めていた。

「いえ、こちらのスタッフに大変にご無礼な発言がありまして、申し訳なかったです。」
そのベテランのようなスタッフは平謝りされた。選挙の立候補者がする、「90度おじぎ」だった。
ここいらが、振り上げた拳の下ろしどころだ。
「では、ご厚意に甘える、ということで、あと何人の患者さんを待つ必要があるのか、ひきつけを起こした場合のベッドの用意の可否、その場合にこちらの病院内の精神科での対応の可否について、お教えいただきたいのですが。」
と言った。
「すぐにお知らせいたしますので、待合室でお待ちいただけませんか」
とベテランスタッフは言った。
お願いします、と丁寧にしっかりと頭を下げ、私は待合室に戻った。
義弟は、強烈な顔面チックになっていて、身体も小刻みに震えていた。そして低い小さな声でハミングしながら、エアーギターをしていた。(ちなみに、彼は本当にギターが弾ける)
私が再び彼の横に腰を下ろしても、それには気がついていないようだった。すべての周囲の状況を遮断し、自分だけの世界にいるようだった。もう少ししたら、こちらの世界に呼び戻してあげないと、いけない。他の患者さん達にうるさいと思われても、彼に話しかけて、少し会話して、こちらの世界に戻さないと、ひきつけを起こすのだ。義弟の場合はこの、「押したり引いたり」が必要なのだ。そっとしておく時間も与えなければならないが、他とのコミュニケーション活動時間も必要になる。

この時点で、9時9分に受付を済ませてから既に3時間30分以上が経過していた。
時刻は、12時45分になるところだった。

この続きは、また次回に! ←ひっぱるなぁ





咳の原因は ~その1~

私のことではない。
1ヶ月くらい前から、義弟が乾いた浅い咳をするようになった。
気にはしていたが、その咳の頻度は変わらず、本人も「つらくない」と言っていた。発熱するわけでもなく、毎日休まず、知的障害者作業所に通っていた。
それでも、咳はおさまらなかった。いつも咳をしているわけではないが、1時間に1度くらい、その咳を連発する・・・という感じだった。
ひどくなってくるようだったらお医者さんへ連れて行かなければ・・・と思っていた矢先、作業所のスタッフから連絡があった。先週の金曜日のことである。

金曜日のレッスンが終わったところに、作業所のスタッフから電話がかかってきた。
その日、作業所では健康診断が行われていた。
義弟は自治体で実施する特定健康診断を受診済みだったが、それにはレントゲン検査がなかったので、作業所の健康診断もやってもらうことにしていた。
作業所のスタッフが言うには・・・
肺に影がある
とのことだった。
レントゲン写真の肺は真っ白になっている、とのことだった。
「専門医の診断を受けていただきたいのですが・・・」
とおっしゃった。
本人の様子を尋ねると、「肺が白く写ってる」という医師の言葉を聞いた瞬間から、超重傷モードになってしまい、今まではたまにしかしていなかった咳を連発し、不安げにしているとのことだった。

知的障害者にもいろいろな症状があると思うのだが、義弟の場合は中度障害で、意思の疎通はできるし、会話も普通に楽しめる。冗談も言うし、道にも迷わない。買い物もできるし、簡単な料理はできる。(味のホドはわからんが)
ただ、「意思の疎通ができる」というのは、世話をする立場からすると、助かることが多いのだが、やっかいなこともある。
中途半端に人の話が理解できるだけに、必要以上に心配になったり、極度な不安に襲われることが多いのだ。
まさしく、この健康診断の医師の話がそうだったらしい。
医師に、「肺が白く写ってる」と聞いた瞬間から、義弟は、
僕は死んじゃうかもしれない
ものすごい重傷なんだ!
どうしよう・・・
怖いな・・・
そう言えば、両親とも癌だったし、僕も肺がんなんだ
いや、そうに違いない

・・・という論法により、極度な不安に襲われてしまったのだ。
医師も、彼が「意思の疎通ができる」とは思っていなかったようで、
「イカンですねぇ。これは専門医の受診に早めに行っていただかないと」
などと、不用意に、彼の不安をあおるような言い方をしてしまったらしい。
作業所のスタッフによると、義弟は不安のせいで震えている、情緒が不安定になっている、とのことだった。
そして、「僕は病気だから、もっと、かまって!」というサインで、意図的な(!)咳を連発しているとのことだった。

「あ~ わかりました。咳のことは私も把握していました。早速、対応します!」
と電話をくれた作業所のスタッフに答え、慌てて帰宅した。そう、その時はまだ、私はドゥ・ハワイ・カルチャースクールにいたのだ。
帰宅し、すぐにウェブサイトで、義弟の自宅近くにある呼吸器内科なるものを検索した。
思ったより、いくつかの医院が見つかった。
以前、耳鼻科を探した時は本当に大変だったのだが、呼吸器内科は市外であっても比較的近くにいくつかの医院を見つけることができた。
義弟の自宅からの距離と、評判の良さそうな・・・というのを考え、ある医院へ電話してみた。
しかし、診療時間外だったためか、誰も出ない。
普通なら、「初診ですが」と言って、直接医院へ行けば良いようなものなのだが、知的障害者の場合はそれがなかなか難しい。診察を断る医院は、実は少なくないのだ。都市部ではそういうことは少ないと思うが、義弟の住む地域では、そういうことが頻繁にある。だから、予め電話をし、義弟の障害について詳しく説明してから・・・という手順を踏むことになる。

しかし、その時点で既に夕方4時。
その医院の夕方の診察は午後4時30分から7時だった。
夕方の時間帯だと、義弟の家までは我が家から1時間30分はかかる。午後4時に我が家を出発しても、義弟の家に着くのは午後5時30分。そこからその医院までは30分近くかかる。(それでも、近い病院なのだ)
・・・今から行って、ようやく間に合う、という状態ではないか。
知的障害者を診てもらえるかどうかを尋ねてから自宅を出発していては、診察時間に間に合わないかもしれない。
・・・と考え、「予備の医院」の記録もメモし、とりあえず見切り発車で、我が家を出発した。

途中、コンビニで飲み物を買い、作業所のスタッフに電話し、今から病院へ連れて行くことと、レントゲン写真を本人に持たせて欲しいということを連絡した。目星を付けてあった医院へ電話すると、診察してくれるとのことだった。
義弟の家に着くと、義弟は外で待っていた。
ちょこっと斜めになって、不安そうに立っていた。超重傷モード全開である。向こう三軒両隣に聞こえそうな、積極的な咳を連発している。
義弟を車に乗せ、レントゲン写真と「通院セット」を持って、医院へ出かけた。
到着したのは、午後6時。初診であることを考えると、ギリギリだった。

診察室に入り、状況を説明した。
医師は丁寧に、幼少期のことや病歴について義弟に質問した。義弟は、自分で答えられる範囲で一生懸命に話した。・・・が、義弟の話は、途中で脇道に反れ、戻ってこれなくなる(!)という傾向が強いので、ほとんどの話を私が修正することになる。しかし、義弟は「自分で答えたい」という意思があるので、私は義弟の話に口を挟まず、義弟が話し終わったところで、まとめて修正・訂正する。自然、診療時間は長くなるのだが、医師はゆっくり丁寧に聞いてくれた。精神科医はそういう医師が多いように思うが、内科の専門医でこういう先生は珍しい。なかなか良い医院に出会えた。

医師はレントゲン写真をじっくりと見てくれた。
そしてすぐに血液検査をしてくれた。
医師の説明は丁寧だった。
「健康診断で他の種目に問題がなくて、レントゲン写真の肺が白い、というのは、結核とか肺炎である可能性は低いですねぇ」
「発熱がない、寝込むようなことがない、だるくない、などの症状や、本人の生活状況や病歴などから考えると、多分これは、生まれつきか、じん肺ですね」

生まれつき、肺が白い人は結構いるのだそうだ。
「とにかく、重篤な状況ではありません。今すぐ、どうこうということはありませんよ。」
と言われ、義弟の顔はみるみる明るくなった。
「ただ、なぜこんなに肺が白いのかは、本格的な検査をした方が良いです」と言われ、すぐに市民病院への紹介状を書いてもらうことにした。
血液検査の結果と紹介状を火曜日の朝一番で受け取り、それを持って市民病院へ行くこととなった。

「本当はねぇ、痰の検査をしたいですねぇ」
と医師は言った。
義弟の咳はかなり乾いたもので、痰が出ない。
「もし、痰が出たら、すぐにここへ持ってきてください」と言われ、痰の採集容器をもらった。
え??? すぐに持って行くの???
検査の内容からすれば、すぐに持って行くべき物であることは重々理解しているが、我が家から義弟の家までは1時間以上かかる。で、月曜日に痰が出ても、私はレッスンで一日中、ドゥ・ハワイ・カルチャースクールにいるのだ。レッスンが終わってすぐに義弟から痰を受け取って医院へ届けるとなると、痰が出てから少なくとも半日は経過することになる。

困ったな~と思いながら、医院を後にした。
義弟を車に乗せて、コンビニに寄った。義弟は私と夕飯を食べられるものだと思い込んでいたのだが、私は私で、用事を済ませて帰宅したらすぐに夕食の支度をする必要があった。義弟は夕飯用のお米を炊いていない、と言うので、コンビニに寄ってお弁当を買うことにした。
義弟は自分でコンビニのお弁当を買うという経験がほとんどないし、私もコンビニのお弁当を彼に食べさせたことはなかったので、義弟は物珍しさで喜んでいた。
あれこれ、お弁当を選んでいると、
「お姉さん、痰が出る!」
と叫んだ。
コンビニの店内で申し訳なかったが、この機会を逃すワケには、いかん。

ゲロゲロ~ ペ~
と、義弟は痰用容器に痰を吐き出した。
時計を見ると、午後7時にあと10分、ということろだった。
今なら、まだ、医院が開いてる!
慌ててお弁当を選ばせ、義弟を引きずるように(義弟はコンビニへの未練があった)車に乗せ、医院へ戻った。
「痰が出ました!」
と受付に走り込んだ。
「良かったですね~」と看護師さんに言われた。
本当に、そうだ。
この日に痰が出なかったら、私は月曜日のレッスンを終えた後、「炎の痰リレー」をするところだった。
いやはや、一安心である。

無事、義弟を家に送り届け、私は帰宅した。
既に午後9時に近かった。
どば~っと疲れ、食欲もない。(が、食べた)
母が、私の帰宅が遅くなることを見越して、夕食の支度をしておいてくれたのだ。
ああ・・・ 母というのは、実にありがたい。
こういうことがあると、母親のありがたみをヒシヒシと感じる。男親だったら、絶対にこうはいかないだろう。

怒濤の通院を経て、火曜日(昨日)は、市民病院への通院だ。
これがまた、ものすごく大変だったのだ。今日も私はその余波で、ぐったりしている。仕事がオフだからいいようなものの、今日は一日中ベッドに入っていたくなるような状態だ。と言いつつ、夏布団の洗濯をしているのだが。
市民病院の診察状況はまた後日!
医療機関に関わる人に、少しでも知的障害者の通院の難しさを理解してもらえるといいなぁ。




posted by プアアカハイ at 10:09愛知 ☁Comment(0)日記

自覚

我が家では「敬老の日」を特別に祝わなかった。
元々、そういう習慣が我が家にはないのだ。
同居していなければ、何か考えると思うのだが、一緒に暮らしていると、結局は「いつもどおり」になってしまう。
特別なお祝いをしないのには、実はもう一つの理由がある。

つい10日ほど前のことだ。
母が、
「ねぇ小百合ちゃん、私って、どういう年寄りになるんだろうねぇ」
とのたまった。
いやいや、ちょっと待て。
見た目はかなり若いが、あなたは立派な(!)73歳である。
一般的に言えば、じゅうぶんに高齢者である。(役所の言う「高齢者」は65歳以上)
要するに、母には「高齢者としての自覚」が全くないのだ。

母は、自分と同い年くらいの(70歳以上)女性を、「おばあちゃん」と称する。
→ だが、自分のことは「おばあちゃん」だとは思っていない。
母は、地下鉄の優先席にちゃんと座る。
→ だが、自分のことは「高齢者」だとは思っていない。
母は、「最近、あんまり食べられないんだよね~」と言う。
→ だが、スイカを一度に半玉、食べる。
・・・どうやら母の心の中では、「高齢者」と「まだまだ若い」の間を行ったり来たりしているようだ。

ドゥ・ハワイ・カルチャースクールの生徒さんはよくご存知だが、確かに、母の見た目は若い。
私と出かけていて、「ご姉妹ですか?」と言われると小躍りする。(娘としては、若干、複雑。第一、全然似ていない。)
地下鉄の自動改札を通った後、駅員さんに、「本当に敬老カードですか?」と言われると、これも小躍りする。
見た目が若いと、心も若いんだろうか。それはそうなんだろうが、心は若くても、肉体は確実に加齢してる。
心と身体が合っていないのだろうか。
喩えそうだとしても、とりあえず、「高齢者としての自覚」を持ち、日々、気をつけてもらいたい。
何かあった後では、遅すぎる。

帰宅した夫に、「私はどんな年寄りになるんかねぇ」のくだりを話した。
夫はしばらく笑った後、「まぁ、それだけ、元気ってことだな」と言った。
まぁ、そうなんだろう。
そう言えば昔、「老後のために」と言って脱税した女性の有名人がいたなぁ。その方は既に80歳近かった。彼女も、「今が老後」とは思っていなかったのだろう。

心が若いことは良いことだ。
だけど、その中に、ちょこっとだけでも、「高齢者としての自覚」を持っていただきたい、と娘としては思う。
無理をしてはイカンのだ。
自転車で道に迷ったら、2時間以上も走り回らずに、目的地へ行くのを諦めていただきたいのだ。
庭に落ちた隣家のトタン屋根を撤去するなどの重労働を控えていただきたいのだ。
父とは全然違う意味で、母は母で、心配な人である。


posted by プアアカハイ at 09:58愛知 ☁Comment(0)日記