白T

一昨日、久しぶりにTシャツを買った。
フラっぽい物やハワイ柄ではない、普通のTシャツだ。
こういう仕事をしていると、ついついハワイTシャツを買ってしまうのだが、大掃除や庭仕事にも耐えられる(?)ごく普通のTシャツが欲しかった。

で、買ったのは白地にダースベイダーの柄のTシャツと、同じくスターウォーズのC3POの絵のTシャツ。
そう、私はスターウォーズが大好きなのだ。何しろ、生まれて初めて見た字幕洋画だ。
大きくて、ざぶっと着られて、生地も柔らかめ。生地も分厚くない。
いずれはパジャマにもなりそうなTシャツ。
そうそう、こういうのが欲しかったのだ!

先日、ひどく寝汗をかいて、夜中にTシャツに替えようとしたのだが、持っているTシャツが生地の厚いメリーモナークTシャツとかハワイ柄の物ばかりで、パジャマに出来そうな物がなくて、困った。
いざという時のために、こういう「普通のTシャツ」も必要だ。

昨日、早速、C3POのTシャツを着てみた。
柔らかくて薄め、なかなか良い。
そして・・・鏡を見た。
「?」
なんだか、変なのだ。
夫は「そんなことないよ」と言うが、なんだか、あまり似合っていない。

どこが変なんだろう・・・
よくよく鏡を見た。
どうやら、Tシャツの白無地面積が大きすぎるのだ。
ハワイ柄のTシャツやフラ用Tシャツは、柄が大きい。そして、白Tシャツはあまりない。
白無地面積の大きいTシャツって、こういうふうだったっけ???
白無地面積の大きいTシャツを着るのは、学生以来かもしれない。
妙な違和感があった。

そして、更に気がついた。
なんだか、下着っぽく見えるのだ。
若い頃、白無地面積の大きいTシャツを着ていても、そんな風に感じたことはなかった。
なのに、昨日着たときには、ヤケに下着っぽく見える。
そう言えば・・・
昔、かなり年上の同僚が、作業でTシャツを着ていた時に言っていた。
「なんかさぁ、白地に柄の入ったTシャツって、下着みたいに見えるんだよな~」
それを聞いた時は、「?」と思った。私は全然、白地に柄入りのTシャツを自分が着ていて、そんな風に見えなかった。が、その同僚が確かに白地に柄入りのTシャツを着ていると、下着に見えた。
不思議なことがあるもんだな~と思ったのだが、今は、なんとなくわかる。

白無地面積の大きいTシャツというのは、年齢によって、見え方が違うのだ。
トシを取って、顔色がくすんだり、シワやたるみやクマが出ていると、白無地面積の大きいTシャツのまぶしさとのバランスが悪くなるのだ。
・・・そういうことか。

ドゥ・ハワイ・カルチャースクール社長のアキヒロ様は、よく白無地Tシャツを着ている。
しかし、それが下着っぽく見えたことはない。
う~ん、やはり、若いからだろうか。
今更、若返ることは不可能だが、顔色良く、白無地面積の大きいTシャツが似合うようにしたいなぁ。

残される者の気持ち、往く者の気持ち

今日、レッスンの帰り道にテレビ放送をカーナビで聞いていた。(走行中は音声のみ)
「今日も海老蔵さんは気丈に舞台に立っていらっしゃいます」
というアナウンサーの声が聞こえた。
ああ、奥様が亡くなられたのだな、とすぐにわかった。

帰宅すると、ライブ放送で海老蔵さんの会見が始まるところだったので、慌ててテレビを見た。
私は海老蔵さんの作品はいくつか見ているが、ファンというわけではない。奥様についても、しかり。
でも・・・会見で心を込めて話している海老蔵さんには、見ていて本当に胸につまるようだった。

さぞかし、心残りだったろうな・・・
子供のこととか、ご主人の仕事のこととか。
やりたいこともたくさんあったろうな。もっと、海老蔵さんの活躍を見たかったろうな。
そして、残された海老蔵さんの気持ちを考えると、本当にたまらない気持ちになる。
奥様への溢れる愛情を感じた。
変な言い方かもしれないが、今までの海老蔵さんの姿で、今日が一番格好良かったように思った。
私は全然ファンじゃないけれど、会見を見ていて泣けてしまった。

残される者の気持ちと往く者の気持ち。
どちらも、本当に切ない。

出会えば、必ず別れがある。生まれれば、必ず死は訪れる。
だからこそ、今を精一杯、生きなきゃなぁ・・・と思う。
さて・・・精一杯、今夜も夕飯を作ろう!
posted by プアアカハイ at 17:57愛知 ☀Comment(0)日記

名古屋は暑い

今日の名古屋はとても暑かった。
まだ梅雨らしき長雨もないのに、既に真夏の気温である。
レッスンから帰り、車を駐車場に入れた時に気づいた。車の車外温度計を見ると・・・
35℃!!
気温2017.6.19.jpg


まだ梅雨も明けていない。・・・というか、まだ梅雨らしくもない。
なのに、既にこんな気温だ。
そう。名古屋はものすごく暑い。
そして、冬は風が強くて寒い。
昔、高校の地理の先生が、
「名古屋の夏の体感気温は那覇と同じ。名古屋の冬は旭川の体感気温に該当します。」
などと言っていたが、アレは本当かもしれない。

これから、午後のレッスンにいらっしゃる皆さんは、どうか飲み物をお忘れのないよう、お願いします。
また、団扇・扇子も必要です。
名古屋の暑い夏に負けないよう、頑張っていきましょう~
posted by プアアカハイ at 21:51愛知 Comment(0)日記

本番、強っ!!

今日はレッスンのお休みをいただき、義弟の通う知的障害者向け作業訓練所の親子ボウリング大会に行った。
そう、この大会のために、私は一ヶ月間、夫の指導を受けながら練習してきたのだ。
ついに、本番である。

家族の付き添いのない方も多いし、付き添ってくれていても一緒にボウリングをしないご家族の方々もいらっしゃる。
お年を召したご家族ならばそれもわかるが、私のこのトシで参加しないというのはイカンかなぁ・・・と思い、真面目にボウリングの練習してきたのだ。
最初はアベレージ40(!!!)から始まって、ようやく100点に乗ったかと思ったら、今度はマイボールの重さに苦しみ、また70点台に逆戻り。
そして、ようやくようやく、先週末から今週火曜日にかけて、マイボールでもアベレージが110点台に乗ってきた。
まぁ、こんなら、恥ずかしくないだろう、と今日の本番を迎えた。

今日の親子ボウリング大会は、2ゲーム。
1ゲーム目は・・・
途中まで、また義弟がリード。義弟はストライクやスペアを決めていく。だが気分にムラがあるので、集中力を切らすと、途端にスコアが伸びなくなる。・・・という特徴がある。130点台を取るときもあれば、60点台になる時もある。
私は、1フレームにつき、8~9本ずつ倒すものの、なかなかストライクとスペアが出ない。中盤までは我慢のボウリングだった。
終盤、義弟は100点台に乗った途端、油断したのか、集中力が切れたのか、急に失速し、105点だった。
私は後半にストライクとスペアがちょこっと出て、最終的には118点だった。
ちょこっと、私の方がスコアが高かった。

そして、2ゲーム目。
またもや、途中までは義弟がリード。しかし中盤から大きく崩れ始めた。
今回の大会では、「ガター防止のガード」が設置されている。私のような無回転ストレートボールを投げる人にとっては、ガードはあってもなくても関係ないが、義弟のようなフックボールを投げる人には、これはなかなか邪魔な物である。
義弟の投げるボールは、レーンの右端ぎりぎりを、ものすごい回転で進み、ピン3メートル前で急に左へ大きくカーブするフックボールだ。ガードの壁が設置されることで、この右端が狙いにくい。だから義弟は、いつもボールを落とす右端の場所よりも、少し真ん中よりにボールを落とさねばならない。すると、ボールはカーブが大きくかかり、かなり左へそれてしまう。真ん中へ行ってくれないのだ。フックボールを投げる義弟にはかわいそうだなぁ・・・と思った。
また、途中、店員の可愛い女の子がやってきてしまい、それに彼の集中力は大きく乱されてしまった。
店員さん、こっちに来ないで~!
という私の願いもむなしく、そのお姉さんは私たちの投げているレーンのすぐ後ろで監督していた。
結果、義弟は大崩れしてしまい、71点
一方、私は、というと・・・
ビックリすることが起きたのである!!!

前半は義弟とドッコイの、1フレームにつき8~9本ずつ倒していった。
ところが中盤からスペアが続き、7・8・9フレームでは全部ストライクになった。
そう、ターキーである!
そして最終の10フレームでは、スペアを取り、3投目で9本。
結果、170点を出してしまった。
こんなことが本当にあるんだろうか。
いや、あったのだ。
全く信じられないが。
投げているのは全部ストレートボール。それがターキーの時は、ズバズバと真ん中に当たった。
夢じゃ、夢じゃ、夢でござる~
という感じだが、本当の話なのだ・・・。
人生初の170点台だ。
ひゃっほう~!!!

食事の後、表彰式があった。
義弟は2ゲーム目の大崩れが影響し、30位に終わった。
慣れている人は、皆さん、上手に「ガター防止のガード」に当てて、その跳ね返りを利用してピンを倒していた。そういう人たちと一緒に大会に参加したのだから、30位でも十分のような気がした。
義弟はちゃんと、いつものように一生懸命にフックボールを投げた。決して、出来は悪くなかった。
彼は頑張ったのだ。特殊なルールの中で、よく頑張ったと思う。

義弟は他の参加者の皆さんとバスに乗り込んで帰って行った。
バスに乗り込むまでは、まさに「青菜に塩」な状態だったが、それでも、バスが出発する時は窓に貼り付いて、見送る私に向かって手を振っていた。
結果はともあれ、楽しかったようだ。
良かった、良かった。

さて、ここで気になるところなのだが・・・
参加した付添者には、順位はつかないのか?
どうやら、去年までは、付添者の表彰もあったらしいのだが、年々、付添者が高齢化し、付き添いをしない人や付添者がプレーをしない、ということが増えてきたため、今年から付添者は「ノーカウント」になった。
が~ん! ← 昭和の少女マンガなら、頭の上に石が落ちてくる
ショック。
大ショックである・・・。
118点と170点だったら、ひょっとしたら、ひょっとしたら、優勝しちゃってたかもしれない。
・・・残念。

しかし、やってみて思うのだが、ボウリングというのは、自分との戦いだ。
集中力と体力と技術、私の場合は「勢い」。
点数が良ければ、それで満足だ。
順位がつく、つかない、に関係なく、自分が満足できるスコアが出れば、それだけで十分、嬉しい。

帰宅すると、当直明けの夫が一足先に帰ってきていた。
ゲームの途中経過は逐次メールで知らせていたが、
「本番、強っ! 170点かぁ・・・すごいなぁ」
とビックリしていた。そして、とても喜んでくれた。
いやいや・・・1ヶ月で40点台から170点台に乗せられたのは、毎回練習に付き合ってアレコレ指導してくれた夫のお陰なのである。お礼を言うのはこちらの方だ。

まぁ、とにかく、私は、本番に強いのだ。
何があろうとも、本番には絶対に間に合わせる。
それがスポーツマンの心意気なのである。

せっかく始めたボウリング。きっかけは何であれ・・・
これからもちょいちょい、密かに練習に行こう。
回転するボールも投げられるようになると、いいなぁ。


超高速「ん・ん・ん」

久しぶりのネタである。
父は筋萎縮症と認知症を患っており、3年ほど前から特別養護老人ホームで暮らしている。
今では、私のことも誰だかわかっていないことの方が多く、会話もほとんど不可能である。おシモもよろしくなく、いつ便が出たのかもわかっていない。入所したときはマダラな状態だったが(それはそれで、かなり大変だった)、今では別世界の住人になってしまっている。しかし、以前と違い、何のこだわりもなく、怒りスイッチも壊れてしまったようで、いつも機嫌が良い。穏やかに暮らしている。

先週の金曜日はそんな父の通院日だった。
レッスンを終え、父を施設まで迎えに行った。
父はもう会話ができないので、リビングルームで車椅子に乗って床を見つめていた。
「お父さん、今からお医者さんへ行くからね」
と声を掛けたが、やはり私が誰だかわかっていなかった。
「そうですか。先生、お願いします」
と言った。私のことを施設のスタッフだと思っているらしかった。

車にエンヤコラ~と乗せ(半分、私が父を持ち上げながら後部座席に座らせる)、出発。
車に乗り込むとすぐに父は、
「ん、ん、ん・・・」
超高速でつぶやき始めた。
1秒で約2回。
相当な超高速で、ず~っと「ん、ん、ん、ん、ん、ん、ん、ん・・・」と言い続けているのだ。
そのたびに、浅く息を吐き続けているわけだから、呼吸そのものがかなり浅い、ということになる。
過呼吸にならんのかしらん・・・
という私の心配をヨソに、父は1秒に2回くらいの割合で、ず~っと「ん、ん、ん、ん、ん、ん、ん」を言い続けている。

その超高速「ん、ん、ん」は、何かを私が話しかけると、止まる。
「お父さん、今日は暑かったねぇ」
「ああ、美味しかったなぁ」  何が???
という、全然会話にはなっていないのだが、超高速「ん・ん・ん」を続けていると医院に到着するまでに疲れ切ってしまう。何かを話しかけねば。しかし、これだけ会話が成り立たないと、どんな話題を振ったらよいのか、わからん。
すると、父から話しかけてきた。
「あそこにヒヨコがいるぞ。可愛いなぁ。」
は???
ヒヨコ???
そこは基幹バスの走る、かなり交通量の多い道路。ヒヨコなんぞ、いるわけがない。
しかし父は、レビー小体型認知症なので、幻視・幻聴・幻覚がある。そのせいかもしれない。
「そうだねぇ、可愛いねぇ」と適当に話を合わせ、道を急いだ。

すると、また父が変なことを言い出した。
「先生はよく道をしってますねぇ。運転が上手いですねぇ。だから生えてるんですね~」
は???
生えてるって、何が???
髪の毛?
とにかく、早く通院を済まさねば。私の脳細胞が攻撃を受けている。

父の筋萎縮症は、ゆるやかに進みつつも、深刻な状態ではない。
診察を受け、薬を処方してもらい、医院を後にして、近くのショッピングセンターで夕食を食べた。
父の食欲はかなりすごい。
その日も、カツ丼(かなりの大盛り)とうどんのセットを食べた。
ご飯の一粒も残さない、完食だ。
しかし父は少しずつ、痩せていっている。
食べた物はどこへ行っちゃっているのかしらん・・・
ちなみにご飯を食べている時は、それに集中しているせいか、超高速「ん・ん・ん」は、ない。診察を受けている時も、ない。手持ち無沙汰だと、「ん・ん・ん」を言いたくなるのかなぁ。
医院の看護師さんによると、
「今、どこにいるのか不安なのでつぶやくんですよ。貧乏揺すりみたいなものです。認知症が進むと、今自分がどこにいるのかを把握するのに時間がかかり、不安なんですよ」
とだそうだ。
なるほどなぁ。
食べている時は不安じゃあないんだなぁ。

父は元々、あまり食べ方のきれいな人ではなかったのだけれど、ここ2~3ヶ月は、本当に壮絶な食べ方をする。
私は箱ごとティッシュを持っていなければならない。
何しろ、汗とよだれと鼻水(with鼻くそ)がすごいのだ。
温かい物を食べれば汗が出るのはわかる(父は汗かき)が、よだれがダラダラ出るようになったのは、ここ2~3ヶ月だ。鼻水も、かむことができず、流れっぱなしになる。
確かに、「鼻水をかむ」という行為は、腹部にそれなりの力を入れ、大きく息を吸い込む必要がある。父はすでに腹筋がほとんどなく、超高速「ん・ん・ん」でもわかるように、大きく呼吸することができない。だから、父は鼻水がかめず、流れ出てくる鼻水を「拭く」のみである。すすることも、できない。
どういうわけか、ここ半年は、父はいつも鼻水(with鼻くそ)をたらしている。
父が食べている間は、父がごくんと飲み込むたびに、私は、その鼻水を拭き、よだれをぬぐい、汗を拭かねばならない。これは、実は結構大変なのだ。何しろ、自分は食べてはいられない。鼻水とよだれを拭くので精一杯だ。だから、父が食べ物を噛んでいる最中に、ばばば~と食べる。味もへったくれもない。まるで燃料の補給のようだ。

父は食べている間、それに集中していない。
あれこれ、私に話しかけようとするが、もう父は言葉がほとんど出てこないので、すべてが手話らしきものになる。
箸を振り回しながら、箸で何かを指したり、手でいろいろなジェスチャーをする。他人ならわからんかもしれんが、親子なので、一応、何が言いたいのかは大体わかる。大抵は、フードコートで食べている他の人々について言っている。
「あの店ははやっているなぁ」とか「あそこで食べている子供は可愛いなぁ」のようなことである。指で指したり、箸を振り回したりするので、これもなかなか制止するのが大変である。夜のフードコートはすいているので、今のところ問題にはならないが、それでも、何かの拍子にぶつけたりするかもしれない。
父のジェスチャーに適当な相づちを打ちながら、飲み込んだタイミングを見てよだれと鼻水を拭く。
・・・結構な重労働だ。
施設のスタッフの方々は毎日毎食、これをやってくださっているのだ。
本当に頭が下がる。

食事を終え、大量のティッシュを片付け、フードコートを後にして、父を車に乗せる。
父はもう、「ここで待っていてね」ができない。歩けないのに、車のスライドドアを自分で開けて降りようとしたり、車椅子専用駐車場のない所では店の玄関に車を横付けするのだが、待っていられず、私の後ろをついてこようとしたりする。以前、食べ終わった食器を返却口に私が運んでいる最中についてこようとして、あわや車椅子から落ちそうになったこともある。「待っててね」とどれだけ言っても、理解できないのだ。かなり危険である。
父の通院は相変わらず、私一人の「マンツーマン・ディフェンス」なのだが、かなりそれが難しくなってきている。
そろそろ、福祉タクシーを頼むか、付き添い看護師が必要になるかもしれない。
これだけ重度の認知症の人を通院させている他のご家族は、皆さん、どうやっていらっしゃるんだろう。
一度、施設に尋ねてみなければ。

施設への帰り道。
父はまた超高速「ん・ん・ん」を言い続けている。
認知症が進むと、こうなっちゃうんだなぁ・・・と実感した。
家族を忘れ、自分の生年月日を忘れ、言葉を忘れ、ひたすらに「ん・ん・ん」を言い続ける。
本当に、こうなっちゃうんだなぁ・・・と。
娘の立場としては、悲しいような、かわいそうなような、情けないような。
いろいろな感情が折り混ざる。
見守っていくしか、ない。治らないのだから。
わかってはいるが、これもなかなかツライものがある。
とにかく、父には穏やかに暮らしてもらいたい・・・と思っている。






posted by プアアカハイ at 22:41愛知 ☁Comment(0)日記